うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。英語的知性。

特任講師観察記断章。「みなさんは自分の英語がどれくらい知性的なものだと思いますか? みなさんは中高とおして少なくとも6年以上は英語を勉強している。そしていまは大学生です。にもかかわらず、日本語でならどうにか出来なくもないはずの、社会問題についての深く真剣な会話が英語ではまるで出来ないのだとしたら、その英語力とはいったい何なのでしょう。何のための外国語力なのでしょう。もし「このあいだ映画見ました、面白かったです」ぐらいの会話しか出来ないのだとしたら、それは小学4年生ぐらいの言語的知性しかないのと同じです。なるほど、母語的知性なしには英語的知性はありえないでしょう。しかし、英語的知性がなければ、せっかく持っている母語的知性も表現することができません。そんなものが必要なのかと思うかもしれませんが、単なる意思疎通レベルのコミュニケーションということになれば、わたしたちは、現地の現場で長い経験を積んできた人にはなかなかかないません。そんなわたしたちになにかアドバンテージがありえるとしたら、それはもう、大学教育を受けていること、知的トレーニングを受けていること、知性あるコミュニケーションが出来るというところに求めるしかないとわたしは思うのです。しかし、それがはたして身についているのかどうか。日本語では当然として、英語ではどうでしょうか?」