うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

非常勤講師観察記断章。日本語にたいする違和感。

非常勤講師観察記断章。この日本語にたいする違和感をどうしたらいいのだろう。人称代名詞の使い方がいまだによくわからない。教室では「わたし」を使い、学生と個人的に話す機会があるときは「あなた」で通している。しかし一人称の「わたし」は正直まるでしっくりこないし、二人称の「あなた」は自分で口にするたびに不自然だと思っている。何かとても気色悪い。英語のIやYouが文法的約束事にすぎないのとは対照的なことに、日本語は代名詞が発話者と対話者の距離感を否応なく表現してしまう。その否応なさを避けるためにあえて「わたし」と「あなた」を機械的に使っているのだけれど、そのせいで、母語であるはずの日本語がまるで翻訳語のようだ。

 

おそらく教壇に立つ身として、できるだけ同じ仮面をかぶろうとしていて、それを「わたし」という一人称に密着させようとしているのだけれど、それにたいして「わたし」のほうが拒否反応を起こしているという状態なのかもしれない。かぶろうとしている仮面が自分の素顔がしっくりこないというわけではないとは思う。あえて図式化するなら、「わたし」という言葉の仮面/英語教師という役割の仮面/素顔という三層構造があり、一番目と二番目の層がうまく接着できていない、または、最初と最後が真ん中の層を介してうまくフィットしていない、そんな状態なのだろう。

手探りは続いている。というより、この違和感はきっともうずっと埋まらないのだろう、埋められるものではないのだろうという気もしている。表面的な装飾部分ではなく、内側の骨格部分から来ているズレだと思うから。しかし、このズレを空間的な「遊び」と感じている部分もある。この奇妙さを楽しめばいいのだろうかと感じている部分もある。

日本語から引きはがされることによって、逆に日本語と深くつながれる。そのような可能性はあるような気がする。