うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

科学の友フェミニズム:アンジェラ・サイニー『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』(作品社、2019)

ヒトの可塑性

サラ・ブラファー・ハーディーは霊長類学者としてインド北西部でサルの一種であるハヌマンラングールの調査を行ない、雄ザルによる子殺しが、繁殖集団の外からやってくる雄ザルによる仕業であること(子ザルを殺すことで雌ザルを繁殖可能な状態にし、自らの子孫の繁殖可能性を向上させる)、そうした雄ザルにたいして雌ザルが群れをなして抵抗すること、乱交が繁殖戦略の一部であること(雄は交尾したことのある雌の子には手を出さない)をつきとめ、The Langurs of Abu: Female and Male Strategies of Reproduction(1977)を執筆した。

類人猿は群れを離れてひとりで産むが、ヒトの社会では、誰かと一緒に産むという形態がほとんどである。カレン・ローゼンバーグ Karen Rosenbergとウェンダ・トレヴァサン Wenda Trevathan("Birth, Obstetrics, and Human Evolution")によれば、「人間の分娩のぎこちない方法と、出産のさなかに母親が手助けを求める感情的な欲求は、私たちの祖先が子を産んだ際にも介助してくれる人びとがいた事実への適応なのかもしれないという」(163頁)。

ハーディーはMothers and Others(2009)のなかで、霊長類研究や文化人類学の知見をふまえながら、母子関係について広く論じている。霊長類のあいだでは、血縁的な母子のあいだに緊密な一体関係がある(「霊長類の赤ん坊は母親の体の延長のようなもので……切り離せない存在」(161頁))一方で、人類の狩猟採集民の社会においては、アロペアレンティング alloparenting、またはハーディーが「協力的養育 cooperative breeding」と呼ぶ、非血縁的な拡大的母子関係が見られる。

ここから引き出されるのは、ヒトにおいて、母性本能は自動的‐先天的ではなく、後天的なものである、という仮説だ(165頁)。別の言い方をすれば、人間は、「子供を女手一つで育てるようには進化しなかった」のであり、助っ人の協力を当てにするように進化してきたのではないか、ということである(167頁)。

人間は進化の途上で、様々な養育関係や養育形態を試してきたと言っていいのかもしれない。リチャード・ブリビエスカス Richard Bribiescasは、ひとつの戦略に固定されている類人猿や霊長類の雄とは違い、人間社会では育児への「男性の関与の仕方に大幅な可塑性が見られる」という(170頁)。ロバート・ウォーカー Robert Walkerとマーク・フリン Mark Flinnによれば、南米アマゾン川流域には、婚外関係を受け入れ、複数の男性と関係を持った女性が妊娠すれば、そのすべての男性の精子が胎児の形成にかかわると信じる社会があり、そうした社会では、「分担可能な父性 partible paternity」(または「父性のシェア shared paternity」)が実践されているのだという(170頁)。

 

既存の科学を批判しつつ、ポテンシャルを際立たせる

アンジェラ・サイニーの『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』は、科学のなかですでに進行中の平等主義的な方向性についての素晴らしく興味深いエピソードであふれている。

科学には、より公平な世界での暮らしを望む男女どちらにも提供できるあらゆるものが備わっていることだけは[本書は]再確認した。フェミニズムは科学の友になりうるものだ。フェミニズムは研究者に女性の視点を含むよう急き立てることで、科学を改善するだけではない。科学のほうも、私たち人間が互いに見かけほど異なってはいないことを示せるのだ。今日までの研究は、人類がすべての人の努力によって、同じ仕事と責任を平等に分かち合うことで生き延び、繁栄し、地球全体に広がったことを示す。人類の歴史の大半では、男と女は手を取って生きてきた。そして、人類の生態がそれを反映しているのだ。(284‐85頁)

しかし、原著タイトルのInferiror: How Science Got Women Wrong - and the New Research That's Rewriting the Story――『劣等――科学がいかに女を間違って捉えてきたか、そしてその物語を書き直している新たな研究』――が明確に示しているように、本書の意図は二重である。

一方において、彼女は科学のなかのポジティヴな方向性を描き出すが、他方においては、幾重にも絡み合っている科学の誤った女性観を糾弾する。進化論のなかで女に割り振られた生物的な劣等性(1章)、女と男の器質的・認知的な差異(2‐4章)、霊長類研究や人類史研究や人類学研究のなかで女に割り振られた特定の社会的役割や子の養育をめぐる問題(5章)、性的パートナー選択戦略と性道徳における男女間の差異(6章)、家父長制の問題(7章)、女性の加齢の問題(8章)。

科学の性差別の問題はどこに端を発するものなのか?

 

科学界の構造的な性差別

「科学の女性差別」には少なくともふたつの問題が絡み合っている。ひとつは、科学の領域における圧倒的な男女の量的不均衡だ。女性科学者が少ないというような、単なる全体数の問題ではない。教授職や研究機関の幹部レベルにおける歪んだ男女比、昇進やキャリア形成において女性だけが直面する数々の困難、種々のハラスメントを含む、総合的な問題である。極論すれば、科学者の生息する環境自体が構造的に性差別的なのだとすら言える(とはいえ、それは科学界に限ったことではなく、社会全体に当てはまる批判であることは言うまでもない)。

だが、もしかりに科学界において完全な男女平等が成し遂げられ、人員の面でもキャリアの面でも男女が完全に対等な存在として扱われる環境が整ったとしても、それだけでは、科学における性差別は残り続けるだろう。というのも、差別の根源は、科学界全体でも科学者個人でもなく、科学そのもの、科学が作り出す知そのものにあるからだ。

 

性差別的な科学的知

「女は男よりも劣った存在である」という「知」を、科学は延々と生産してきた。進化論の提唱者のひとりであるチャールズ・ダーウィンもまた、男性優位の知の生産の共犯者である。進化論仮説を提出するさい、それが当時の社会通念を揺るがすことになるだろうことをあまりによく理解していたがゆえの過度の慎重さゆえに、過度の臆病さゆえに、あわやアルフレッド・ラッセル・ウォレスに先を越されそうになって慌てて『種の起源』(1859)を書き上げたダーウィンでさえ、『人間の由来』(1871)のなかでは、ヴィクトリア朝時代特有の構築された現実にすぎない女性の社会的な従属性を、生物学的な真実であると拙速に結論してしまった。それは、いまあるものが、長きにわたる偶発的な進化の必然的な帰結であることを唱える進化論の提唱にはあるまじき錯誤であった。

メソポタミアの人びとから古代ギリシャ人まで、そして現代にいたるまで、社会は女性に制限を加え、道徳基準に敢えて違反した人を罰してきた。チャールズ・ダーウィンの時代には、この体制に入ってから何千年もの歳月が流れており、そのような抑圧は通常のものと見なされるようになっていた。人類は女性を、みずからがつくりだしたレンズを通して見ていたのだ。任務は遂行された。ダーウィンを含むヴィクトリア朝時代の人びとは、女性は生まれながらにしておとなしく、慎み深く受け身なのだと信じていた。女性のセクシュアリティはあまりにも長きにわたって抑制されていたため、科学者たちはこの慎み深く従順な性質が生物学的なものかどうか、疑問すらもたなかったのだ。(235頁)

科学を実践する環境を男女平等にするだけではまったく不十分である。科学の根本に置かれている差別的な措定を根底から問い直さないかぎり、制度的な改革は不十分なものにとどまらざるをえない。

しかし、そうした改革をラディカルに押し進めようとすれば、科学は、必然的に、政治的な領域に足を踏み入れることになる。それは、科学を政治に従属させるという方向とは真逆である。むしろ、科学に暗黙の裡に持ち込まれていた政治的な措定――女は知的に男より劣っている、女の価値は子作りや子育てだけだ、女は生物学的に家事労働に向いている、などなど――を科学的に問い直すことである。科学の始まりに置かれていた非科学的な思い込みを、真に科学的なものに置き換えることである。

 

科学的知の政治的起源

科学を政治的に――フェミニズム的に、と言ってもいい――やり直すこと、それは、科学的知をフェミニズム化することではないはずだ。「女は男よりも優れている」と言うのでは、男性優位構造の単なる反転にすぎない。それは男性優位主義と同じくらいイデオロギー的なものであり、男性優位主義と同じくらい非科学的なものである。科学をフェミニズム化すること、それは、科学的知を脱‐政治化することである。

これはもしかすると、啓蒙主義時代において科学が宗教の拘束から自由になろうとしたことと似ているかもしれない。啓蒙とは、誰かの指図なしに自らの理性を自由に行使することである、とカントは「啓蒙とは何か? Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?」のなかで述べたが、いま科学に必要なのは、「男は女よりも優れている」という直接的に性差別的な主張や、「男と女は違うーーそれゆえ、女に男とは別の生を強制するのは理にかなっている」という婉曲的な性差別的主張から、自らを解放することである。それは、自らの根拠なき措定を批判し、科学を始め直すことである。

それは、女だけのために、女だけが取り組むべき、女の女による女のためのプロジェクトなのか。そんなはずはない。「女は男より劣っている」という措定が科学的根拠に基づく本当の科学的仮説なのか、それとも、単なる偏見にすぎないのか。これを真摯に考え直すことこそ、真に科学的な啓蒙的立場であるはずだ。

それは、社会的な歴史的偏見であるとか伝統的な保守的価値観を盲目的に受け入れることを拒否し、それらを科学的に精査することである。古いものや受け継がれてきたものを無条件に全否定するのではなく、そのなかから真と偽を選り分け、真実に迫ろうとすることである。

事実こそ、私たちの本来の能力を開花させ、社会をよりよい、人を平等に扱う場所へと変えさせるものなのだ。単にそれが私たちを文明化させるからではない。むしろ、すでに証拠が示すように、それが私たちを人間にするものだからだ。(285頁)

それこそ、健全な懐疑の精神であり、真実を愛する科学的な姿勢である。科学における女性差別と闘うことは、すべての科学者の責務なのだ。

 

科学的偽知の社会的悪影響

もし科学界における構造的な性差別が科学者にのみ関係する特殊問題であるとしたら、科学の生産する知における構造的な性差別は、科学者だけにとどまらない一般問題である。というのも、科学は、とりわけ近代以降の時代において、わたしたちの社会を根底から支えるもののひとつであり、そうであるがゆえに、土台にはらまれている歪みは、そのうえに築かれた社会という構築物の全体に作用するからだ。

「女は劣っている」という科学的偽知が、社会的存在であるわたしたち全員に悪影響を及ぼす。女を従属的な存在として扱ったり、科学における性差別に闘うことは、わたしたちすべての責務である。

 

本書の構成は、二重の意図を考えると、少しわかりにくいところがあるかもしれない。ふたつの方向性が時折いっしょに提示されていくからだ。もちろん、それらは孤立したものではなく、互いに連動しているというのが真実なのだから、これをもって作者を責めるのは不当な気もするのだけれど、読者のわがままを言えば、やや不親切な書き方だと思う。トピックや登場人物のうえで微妙な重複があり、通時的に話が進んでいくわけでもない。

しかし、裏を返せば、どの章からも読むことができる本である。というのも、章同士に連関はあるとはいえ、それぞれが独立したテクストだからだ。読者は各自の興味の赴くままに、好きな章から読み始め、好きなところで読み終えていい。

個人的には、1章の20世紀前半のホルモンをめぐる研究合戦、5章と8章の文化人類学における「ウーマン・ザ・ギャザラー」や「おばあさん仮説 grandmother hypothesis」をめぐる論争がとくに面白かった。日本語副題にあるように、サイニーが、ハードサイエンスだけではなく、ソーシャルサイエンスまでカバーしているところに、彼女の科学観の柔軟さや、科学の社会性や政治性についての見識の確かさがあるように思う。

 

 

以下では、科学内部にある男女平等化の方向性を体現してきた/しているものを、恣意的にいくつか箇条書き風にリストアップしてみる。

 

26‐30 キャロライン・ケナード夫人 Caroline Kennard、ボストンはマサチューセッツのブルックライン在住。ダーウィンへの手紙(1881年12月)のなかで、『人間の由来』は女性の知的劣等性にたいして科学的なお墨付きを与えているのかと問いただした。ダーウィンは、女性は道徳的資質では男性より優っているが、知的には劣っている、と返答した。

34‐40 イライザ・バート・ギャンブル Eliza Burt Gambleミシガン州在住の女性参政権アクティヴィスと。『The Evolution of Woman: An Inquiry into the Dogma of Her Inferiority to Man』(1894)のなかで、ギャンブルは、ダーウィンの男女差別的な措定にたいする猛烈な反論を展開した。

46‐47 マーガレット・ミード  Margaret Meadは、サモア人社会について触れながら、男性的パーソナリティと女性的パーソナリティの決定は、生物学的な条件よりも、文化的な影響にあると論じた。彼女の3人目の夫であるグレゴリー・ベイトソンも、科学と自然/社会の関係を考えるうえで外すことのできない人物だ。

119 ヘレン・ハミルトン・ガーデナー Helen Hamilton Gardenerというペンネームで知られているアリス・チェノウェス・デイは女性権利アクティヴィストにして著述家で、女性参政権や自由思想についての著作で知られている。ロバート・グリーン・インガーソル Robert Green Ingersollの熱心な勧めにより、講演活動を始める。元アメリカ陸軍の軍医総監にしてアメリカ神経学会の創設者のひとりであるウィリアム・アレクサンダー・ハモンドの「女性の脳は男性の脳より軽いため、知的に劣っている」という議論に反対し、ニューヨークの神経学者エドワード・スピッカのもとで働き始める。それは「脳における性差 Sex in Brain」(1888)に結実した。

  

171‐190 人類学における女性の社会的役割についての研究:1966年にシカゴ大学で開かれた、世界の狩猟採集民についてのシンポジウム「マン・ザ・ハンター Man the Hunter」と、それへの返答として、アメリカ人類学会の1970年の年次総会でのサリー・リントン Sally (Linton) Slocumの発表「ウーマン・ザ・ギャザラー――人類学における男性偏向 Woman the Gatherer: Male Bias in Anthropology」。女性が狩猟採集社会において果たす決定的な役割、つまり、男たちが遠くから持ち帰る大型の獲物の不確かさと、女たちが近場で捕まえる小型の獲物や植物の安定供給っぷり。狩猟採集民に見出される原始的・原初的な平等社会。女の狩人という存在。

 

229‐32 メアリー・ジェーン・シャーフィは著名な性科学者アルフレッド・キンゼイのもとで学んだ。女性の性衝動がひどく過小評価されているという議論を展開し、近代文明の誕生と期を同じくして、女性の性的欲求の強引な抑制が行われたと述べた。そして、歴史をとおして、男性は女性の性衝動を抑制するために「信じがたいほどの圧力を行使してきた」と論じた(230頁)。

 

 

1792 メアリ・ウルストンクラフト Mary Wollstonecraft『女性の権利の擁護』:「it cannot be demonstrated that woman is essentially inferior to man, because she has always been subjugated.」(2章末尾)

1888 ヘレン・ハミルトン・ガーデナー「脳における性差」

1894 イライザ・バート・ギャンブル『女性の進化』

1898 シャーロット・パーキンス・ギルマン Charlotte Perkins Gilman『婦人と経済』

1953 アシュレー・モンタギュー Ashley Montagu『女性の生来の優位性 The Natural Superiority of Women』(『女性:この優れたるもの』(法政大学出版局);『女はすぐれている』(平凡社))

1973 メアリー・ジェーン・シャーフィMary Jane Sherfey『女性のセクシュアリティの本質と進化 The Nature and Evolution of Female Sexuality

1986 ゲルダ・ラーナー Gerda Lerner『男性支配の起源と歴史 The Creation of Patriarchy』(三一書房

1992 アン・ファウストスターリンAnne Fausto-Sterlingジェンダーの神話:「性差の科学」の偏見とトリック Myths of Gender: Biological Theories about Men and Women』(工作舎

1999 サラ・ブラファー・ハーディー Sarah Blaffer Hrdy『マザーネイチャー:母性本能と彼女たちがヒトを形作った方法』(早川書房)、ほかに、Women That Never Evolved(1981、『女性は進化しなかったか』『女性の進化論』(思索社))、Mother and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding(2009)がある。

2013 サラ・リチャードソン Sarah Richardson『性そのもの――ヒトゲノムの中の男性と女性の探求 Sex Itself: The Search for Male and Female in the Human Genome』(法政大学出版局

2013  マーリーン・ズック Marlene Zuk『私たちは今でも進化しているのか? Paleofantasy: What Evolution Really Tells Us About Sex, Diet, and How We Live』(文藝春秋

 

 

男女間には決定的な生物学的差異があると論じる文献/人々

1948 Bateman, Angus. "Intra-Sexual Selection in Drosophila" Heredity. 2. 349-68.

1966 ロバート・ウィルソン Robert Wilson『永遠の女性 Feminine Forever』(主婦と生活社

1972 ロバート・トリヴァース Trivers, Robert. "Parental Investment and Sexual Selection" in Sexual Selection and the Descent of Man. 136-79.

1979 Symons, Donald. The Evolution of Human Sexuality.

1989  Clark, Russell and Elaine Hatfield. "Gender Differences in Receptivity to Sexual Offers" Journal of Psychology and Human Sexuality. 2(1). 39-55.

1994 Buss, David. The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating. (デヴィッド・バス『女と男のだましあい――ヒトの性行動の進化』(草思社))

2000  "Sex Differences in Human Neonatal Social Perception" Infant Behavior and Development. 23(1). 113-18. 

2003 サイモン・バロン=コーエン『共感する女脳、システム化する男脳』

2014  "Sex Differences in the Structural Connectome of the Human Brain" Proceedings of the National Academy of Sciences USA. 111(2). 823-8.

 

Larry Cahill

Simon Baron-Cohen 

Ruben Gur