うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。フリの重要性。

特任講師観察記断章。「真面目に聞けとは言わない。そこまでは言わないけれど、真面目に聞いているフリはできるようになってほしい。興味をもって熱心に聞くというのが最上なのは言うまでもない。興味がないから攻撃的につまらなさそうに聞くというのも大学生ならアリです。しかし、無関心に俯いたまま聞いたり答えたりするというのは芸がなさすぎる。デフォルトの態度は、無関心ではなく、やる気のあるフリであるべきです。顔を上げ、フムフムと相槌を打ちながら、内心では「くだらない話しやがって、早く終われよ」と思ってるくらいでちょうどいい。それはこちらも仕事ですから、やる気がある相手だろうがない相手だろうが、やることはやりますし、必要とあれば、明らかにほとんど誰も聞いていない教室に向かって無心で話し続けることはできます。しかし、そんなことをやるんだったら、もう録画した講義を流せばいい。対人コミュニケーション的な要素がことごとく否定されているような空間では、わざわざ対面でやる意味がない。こちらもただの人間ですから、おだてられればやりやすいし、興味のない相手に90分も話し続けるのは心が折れる。よいしょしろとか、ほめたたえろというのではありません。それはくだらないし、気持ち悪い。しかし、話す方に気持ちよく話させてやる技術というのは、みなさんが必要とするもののはずですし、集団的に作っていくものでもある。クラス25人いて5人が興味ありげに聞いていても、20人という大多数がやる気なさげだと、話しているほうもそちらに感化されていつのまにかモチベーションが下がり、それがやる気ある5人にも感染し、という悪循環になる。いい環境を保っていくこと、いい空間をキープしていくことは、持続的な努力あって初めて可能になるものですし、そのためには、リーダーとか一握りの突出した人間ではなくて、モブ役のほう(というのはあんまりな言い方ですが)のアクティヴな関わりが必要になってくる。繰り返しますが、重要なのは、本当に参加するというよりも、参加しているようなフリを続けるということです。フリが作り出すものはあるし、フリから本当になるものもある。しかし、無関心はどこまで言っても無関心でしかない」というような嫌味を、当てられてもこちらを見ることなく下や横を向いて話す学生たちに触発されて二度も放ってしまった。午前中のいちどめは無計画に、午後の授業でのにどめは計画的に。