うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

多元性に向かう変容:大野和基『オードリー・タンが語るデジタル民主主義』(NHK出版、2022)

オードリー・タンがやっていることをひとつひとつ取り上げてみれば、それ自体は、とくには新しくはない。

民主主義的な価値観がある。透明性、普遍的参加、インクルーシブ、非暴力的な意思決定、討議的プロセス。

プログラミング的なマインドセットがある。グランドデザインではなくトライ・アンド・エラーによる漸進的進展、絶えざるアップデート絶えざる調整、競争ではなく協業。

そのふたつを組み合わせているところが現代的だとはいえるが、それにしても、ものすごく新しいというわけではない。

タンのユニークさは、徹底性にあるように思う。それはきっと、タンが、普遍性というものをとても真剣に、まったく字義どおりに受け取めているからだろう。タンにとって、Leave No One Behind(誰ひとり置き去りにしない)というSDGsの美辞麗句は、アクチュアルなアジェンダである。現実味のない「できたらいいな」という願望的スローガンではない。切実でありながら、悲壮感はなく、リラックスしたのびやかさがある「やりましょう、やらなければ」という行動指針なのである。

いかにして死票を減らす/無くすか、いかにして民意を細やかにすくい上げるか。それは、システム設計の問題だ。タンの強みは、理念とエンジニアの両面からこの問題にアプローチできる点にある。旗振り役を務めるだけではなく、デジタルなプラットフォームの構築にベタに関わることができるところにある。タンは、哲学者であると同時にプログラマーでもある。タンのなかには実務家と思想家が同居している。というよりも、両者は、タンのなかで、混然一体となっている。

しかし、そこまで開かれたマインドセットを持ちながら、タンがイメージし、かつ、体現する共同体には、明確なひとつのリミットがある。台湾、というリミットが。その意味で、タンが奉じるのは、ナショナリズムとまでは言わないが、ローカリズムではある。愛国主義、と言ってみてもいいかもしれない。国際主義的ではあるが、最初に来るのは地域的アイデンティティになる(ここには、中国にたいする台湾の立ち位置が濃密に反映されているのではないか)。タンは台湾人(しかし、単一的な台湾ではなく、他民族からなる多元国家としての台湾の市民)である。

 

タンは徹頭徹尾未来志向だが、ユートピア主義者ではない。タンが目指すのは、現時点で創造可能な最高の未来を完全に現実化することではなく、未来を強く意識しながら現在を好ましい方向に変えていくことである。世界は変わりゆくものであり、現時点の最高が未来においても最高のままであるはずはないという、謙虚で慎重な態度がある。未来のために余地を残さなければならない、そうした思いが根底にある。

だから、タンは、時間的変化を拒否する静的な秩序を念頭に置く「最適化」という考え方を退ける。

私たちが政治や教育などにデジタルツールを用いるのは、何かを「最適化」するためではありません。最適化というのは、いくつかの価値基準を選び出し、それらを組み合わせて最大化することです。いわば理想とするパーフェクトな理想があって、そこに達することがゴールであることを示唆します。(185頁)

いまの世代の理想は、次の世代の理想ではないかもしれない――その可能性を念頭に置いて未来を追求しなければならない。そのために、タンは、厳密さではなく、緩さを戦略的に抱擁する。未来のために働きながら、未来にたいする過保護を断念することであり、未来を信頼するのだ。

デジタル民主主義や多元的民主主義において、その価値基準はじつに多様です。市民はそれぞれ、自分なりの価値観を持っているからです。そのため私は「グッド・イナフ(good enough)」のコンセンサス(合意)を持つことを強調しています。完全ではないけれど、「そこまで合意が得られたらのなら、前に進めていい」という意味です。

しかしこの「グット・イナフ」という考え方は常に、将来の世代に対して余地を残します。まだ対話の中には含まれていないけれども、これから徐々に含まれる世代に対してです。子孫は、その時代において自分たちが重要であると考えることに対してやるべき仕事を決めていきます。ですからもし、いま何かを最適化したいというのであれば、私たちが(185)「グッド・イナフ」の先人になって、後世の人々が起こすイノベーションのために、たくさんの余地を残しましょう。DXはそのようにして一元的ではなく、多元性に向かって変容していくべきです。(186頁)