2022-01-01から1年間の記事一覧
トスカニーニがフィルハーモニア管弦楽団を振った唯一(だと思う)の録音であるブラームス交響曲全集はたしか2000年代初めにTestamentから発売されて、その当時トスカニーニをよく聞いていたのですぐに渋谷のタワレコに買いにいったはず(もしかしたらHMVだ…
A man of science というフレーズがある。現在ではあまり使われない言い回しだが、19世紀の英語の文章でよく目にする。Google Ngram Viewer で見ると、1740年代後半から使用が始まり、1760年から70年にかけて急増した後、1872年まで増加傾向にあった。しかし…
翻訳語考。集合的な名称をどう訳すか。英語は -er や -ian のような接尾辞を土地の名前につけることで、「~人」のような意味の単語を作ることができる。たとえば、New Yorker であるとか、Californian というように。けれど、これを「ニューヨーク人」とか…
20220903@静岡音楽館AOI クセナキスの音楽はもしかすると、ウェーベルン的と言いたくなるような断片的ブロックを、非有機的なかたちに繋いだような構造になっているのではないかと、譜面をめくる演奏家たちの所作を見ながら初めて思い至った。 アルディッテ…
20220430@舞台芸術公園「有度」 唐十郎の『ふたりの女』は妄想の約束を受け取った責任をめぐる物語なのかもしれない。紫式部の『源氏物語』とチェーホフの「六号病棟」を本歌とするらしいこの戯曲は、ミイラ取りがミイラになるお話と言って差しつかえないだ…
20220429@静岡芸術劇場 4カ月遅れの劇評、というか、記憶の発掘(これは観劇後のちょっとしたメモと、冒頭だけ書いて放ってあったものをいまさらながらに補完したもの)。 頭のてっぺんを観客に向け、足先を上にまっすぐ突き出し、白黒の格子模様の床に、俳…
ピエール・ブーレーズは怠惰を嫌い、創意を愛していた。複雑さを好み、複雑なものを理解し鑑賞するために努力を払わない者を軽蔑していた。 いや、もしかすると、軽蔑していたというよりも、そのような怠け者の心情にたいしてこれっぽっちも共感を抱けなかっ…
オクタヴィア・E・バトラーは異生物との肉体的な接触を描き出す。節足動物にも似た多数の足に、または、軟体動物の触手のようなものに、全身を抱擁され、包み込まれるという経験。それはひどく肉感的なものであると同時に、おぞましいものでもある。ゼロ距離…
ここ半年ぐらいできるだけ毎日フランス語を聞くようにしている。10分程度のニュースを大学まで歩きながらしっかりと聞くときもあれば、作業をしながら2時間も3時間もBGM代わりに流すだけのときもあった。フランス語のセンテンスを英語で解説する5分ぐらいの…
翻訳語考。a secular notion of freedomという英語の言い回しに文法的な難所はない。secularという形容詞はnotionという名詞を修飾しており、不定冠詞 a は notion と呼応している。of 以下は notion の修飾である。 しかしこれを正確に日本語にするのは案外…
20220505@駿府城公園 4カ月近く経って何をいまさらという感じはするけれど、書き留めておく。 『ギルガメシュ叙事詩』はアンチクライマックスな物語だ。前半は冒険活劇。シュメール都市国家ウルクの王ギルガメシュが主人公。野人エンキドゥとの格闘を経て固…
「貧しい連中を罰する神さまがいるとしたら、よっぽど変わり者の神さまじゃないか?」(チャペック『白い病』10頁)
20220827@静岡県立美術館 県立美術館は家のそばにあるせいで、「行こうと思えばいつでも行けるさ」という気になってついつい後回しにしていまい、気づいたらもう終わっていたことが一度ならずあるのだけれど、今回はぎりぎり思い出して、夜間開館日だったの…
ホッブズのあの有名なフレーズ「万人の万人にたいする闘争」だけれど、この訳語でいいのだろうか。ラテン語だと bellum omnium contra omnes。ラテン語は格変化するので、所有格 omnium と 対格 omnes で語尾が異なっているが*1、元の単語は omnis。ここでは…
インゴ・メッツマッハーにとって音楽はなによりも現象であり、出来事なのかもしれない。音があってその後に音楽が来るのではない。音がつねにすでに音楽なのだ。 こう言ってみてもい。メッツマッハーの考える「音楽」は、ノイズやカオスやサイレンスを含めて…
「わたしたちの誰もが知っているように、政治とは、社会のなかの純粋に利己主義的な要素が、利他的な熱望ともっとも錯綜した結合をなす領域である。しかし、経験のある政治家なら誰でも知っているように、偉大な政治運動はすべて、大きな問題めぐって闘われ…
20220815@静岡市美術館 「刀剣✕浮世絵」と謳うにはずいぶん刀剣が少ないじゃないかと思いきや、最後のセクションにまとまって展示されていて、8割近くの展示を埋める戦記物のシーンを図像化した江戸中期から後期にかけての錦絵とのバランスはギリギリ取れて…
セミヨン・ビシュコフの音楽のふくよかさは、なかなかありそうでない。彼の鳴らす音は分厚い。厚手の生地に厚手の裏地がついている感じだが、暑苦しくはない。向こうが透けて見えるような軽快さは皆無だが、かといって不透明に濁っているわけではない。音は…
「わたしたちは本書をとおして、3つの原初的自由にたびたび言及してきた . . . 移動の自由、不服従の自由、社会関係を築いたり変えたりする自由である。またわたしたちは、英語の free がどのようして究極的にはドイツ語の「友」を意味する語に由来するのか…
「「官僚制」という言葉自体が、機械的な愚鈍さを喚起する。しかし、非人称的なシステムがその起源において愚かであった、ないしは、必然的に愚かである、と信じる理由は何もない . . . 田舎のコミュニティで暮らした経験があったり、大きな街の自治会や教区…
「 . . . 君主制はおそらく、わたしたちが知っている著名な統治制度のなかで、子どもが決定的なプレイヤーとなる唯一のものだろう。というのも、すべては王朝の家系を途絶えさせない君主の能力にかかっているからだ。どのような体制でも死者崇拝はありえる。…
「本当にラディカルな説明は、ひょっとすると、間にある時と場という角度から、人間の歴史を語り直すのかもしれない。[A truly radical account, perhaps, would retell human history from the perspective of the times and places in between.]」(グレー…
特任講師観察記。本務校の採点業務は9割は片付いた。追試対応をしなければならない学生がまだいるけれど、大筋では終わったといっていい。しかし、採点をやるほどに、何のための採点なのかという気がしてくる。 評価は必要だ。いや、評価というよりも、批評…
「どのような種類のものであれ、民主的な制度や機関が遠い過去にあったことを主張するとなると、学者たちは、曖昧さのない反駁不可能な証拠を求める傾向にある。驚かされるのは、トップダウン型の権威構造となると、学者たちがそれほど厳密な証拠を求めたり…
ジェフリー・テイトのワーグナーをずっと聞いてみたいと思っていた。いまはもうネットでは出てこない長文の邦訳インタビューのなかで、1990年代なかばにシャトレ座で振ったワーグナーの『指環』について、イタリア風に旋律を歌わせるワーグナーをやろうとし…
「ローマ法の財産の捉え方——それは今日、ほとんどすべての法体系の基盤である——をユニークなものにしているのは、ケアとシェアの責任を最小限にまで切り詰めている、それどころか、完全に切り捨てているところだ。ローマ法では、所有にかんして三つの基本権…
「遠くの地で受け入れてもらえることがわかっているからこその、共同体から抜ける自由。一年の時期に応じて、社会構造のなかをあちこち異動する自由。権威に従わず、大事に至らない自由。これらはみな、わたしたちの遠い祖先のあいだでは当然のものとみなさ…
クラウス・マケラを新時代のカラヤンと呼んでみたい誘惑に駆られる。どこまでものびやかで、どこまでもみずみずしい、流線形の抒情性。指揮の身振りが大きく、抉るように前のめりに棒を突き出すかと思えば、見得を切るかのように両腕を大きく振るう。スペク…
「さまざまな形態の社会組織を実験的に試みていく能力それ自体が、わたしたちを人間たらしめているものの核心をなしているのではないだろうか。つまり、自らを創造する能力、自由さえをも創造する能力を備えた存在としてのわたしたちを。本書で見ていくよう…
ヒルマ・アフ・クリントの絵はニューヨークのグッゲンハイム美術館で展覧会が開かれていたとき、学会に出るためにたまたまアメリカ東海岸に滞在中で、クリント展だから見に行こうというのではなく——そのときクリントのことはまったく知らなかった———、「ニュ…