うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2022-01-01から1年間の記事一覧

枯れ木に棲むものたち(アンヌ・スヴェルトルップ=ティーゲソン『昆虫の惑星』)

「枯れ木の幹や枝や根は、生きものたちの家だ。北欧では、六〇〇〇種近い生きものが枯れ木を棲みかにしている。北欧に棲む生き物は一万八〇〇〇種以上と考えられている。つまり、全体の三分の一の種が枯れ木で暮らしていることになる。枯れ木に棲む種のおよ…

皮膚に触れる、脳に触れる(モンティ・ライマン『皮膚、人間のすべてを語る』)

「皮膚は一見すると何もない吹きさらしの土地のように映る。だがじつは、私たちの身体はドキュメンタリー映画が撮れそうなほど多彩な生物の生息地で覆い尽くされている。そこで暮らす「野生の」生物たちにとっては、私たちの皮膚こそが世界なのだ。」(モン…

「だがわたしは反抗するために生まれてきた」:バイロン、東中稜代訳『ドン・ジュアン』(音羽書房鶴見書店、2021)

バイロンの『ドン・ジュアン』は、名前は知っているけれど読んだことがない作品のひとつだったが、図書館の新刊の棚に東中稜代による上下2巻の新訳があったので、これ幸いとばかりに借りてきて、流し読みするようにページをめくりつつ、ところどころ気になっ…

凡庸な作品の饗宴:静岡市美術館、スイス プチ・パレ美術館展

凡庸な作品をここまでまとめて見ることができるというのは、それはそれで貴重な機会。ビックネームの背後には数多の亜流がいたこと、というよりも、いまでは忘れられてしまった圧倒的多数が作り上げた流行があればこそ絵画が市場として存在していたこと、そ…

サドとヘルダーリンとベンヤミン:三島由紀夫『春の雪』

「なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつてわれわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いづれも手で触れることのできない点でも共通してゐます。手で触れることので…

「独り静けさのなか」(ヨネ・ノグチ「序詩」)

"Alone in the tranquility, I see the colored-leaves of my soul-trees falling down, falling down, falling down upon the stainless, snowny cheeks of this paper." (Yone Noguchi. "Prologue" in Seen and Unseen.) 「静けさのなかで僕は独りきりで見…

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス:ブレット・ベイリー演出(日本版キュレーション:大岡信)『星座へ』

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス 20220508@日本平の森彼らはきっと星座の制作者なのだ、ブレット・ベイリーと大岡信は、おそらくは。 赤青緑の3つのグループにランダムにわけられた観客は、さらに3つの小グループにわけられて、す…

commitmentを「推し」と訳せないだろうか

commitmentが厄介な言葉であることは常々思っていることではあるけれど、いまだに適切な日本語を見つけられないでいる。思想史的な文脈を踏まえるなら、思い切って、「アンガージュマン」としてしまうのもひとつの手ではあるけれど、2022年のいま、このカタ…

特任講師観察記断章。暗誦の教育的効果。

特任講師観察記断章。漢文の素読はとても意味のあることだったのではないか。読み下し文には独特のリズムがあり、定型的な表現がある。韻文とまではいわないが、散文というにはあまりにも定式化されたリズムとメロディがある。だから、暗誦するところまでや…

拡散し、集合するわたしたち:ヴァージニア・ウルフ、片山亜紀訳『幕間』(平凡社ライブラリー、2020)

ヴァージニア・ウルフの遺作である『幕間』はおそらくウルフの小説のなかで読み直した回数が最も多いテクストになるはずだ。大学院のゼミで読んだからその時にすでに何度か通読としたせいもあるけれど、アマチュアの野外劇として演じられるイングランドンの…

溶け合う身体、振動する共感:ヴァージニア・ウルフ、森山恵訳『波』(早川書房、2021)

不可能な願望に浸りたいのだ。歩いているおれは、不可思議な共感の振動、振幅でふるえてはいないだろうか。( 127-28頁) 「人生とは、分かち合えないものがあるといかに色褪せるものか . . . 」(304頁) 『波』はウルフがたどりついた極北だ。散文詩で書か…

多元性に向かう変容:大野和基『オードリー・タンが語るデジタル民主主義』(NHK出版、2022)

オードリー・タンがやっていることをひとつひとつ取り上げてみれば、それ自体は、とくには新しくはない。 民主主義的な価値観がある。透明性、普遍的参加、インクルーシブ、非暴力的な意思決定、討議的プロセス。 プログラミング的なマインドセットがある。…

絶えず似ているところを見つける技術としての優しさ(オルガ・トカルチュク『優しい語り手』)

「優しさとは、人格を与える技術、共感する技術、つまりは、絶えず似ているところを見つける技術だからです。物語の創造とは、物に生命を与えつづけること、人間の経験と生きた状況と思い出とが表象するこの世界の、あらゆるちいさなかけらに存在を与えるこ…

特任講師観察記断章。暗誦の思わぬ効用。

特任講師観察記断章。暗誦を課題として与えたことはない。無理やり暗記させても、思い出しながら言うので精一杯になってしまって、ほかにケアすべきことがなおざりになってしまいそうな気がするからだ。しかし、今日、音読試験をしたあと、試験範囲になって…

特任講師観察記断章。不感症的な(と言いたくなる)動かない身体。

特任講師観察記断章。還元的に言えば、リズムは個々の音のあいだの長短の関係(時間)、ノリは個々の音のあいだの強弱の関係(質量)、イントネーションは個々の音のあいだの高低の関係(ピッチ)。そして、英語において個々の音のコアをかたちづくるのが音…

「陽は昇った。黄と緑の筋が」(ウルフ、私訳『波』3)

「陽は昇った。黄と緑の筋が岸辺に落ち、朽ちたボートの肋材を黄金に染め、エリンギウムを、鎧をまとうその葉を、鋼鉄のような青に輝かせた。光は、扇のかたちを描いて浜辺を疾走する薄く速い波を、貫きとおさんばかりである。頭を振った少女がいた。宝石を…

「陽は高く昇って」(ウルフ、私訳『波』2)

「陽は高く昇っている。青い波、緑の波はさっと扇で払うように浜辺を洗い流し、穂のように長く伸びた軸に多くの花をつけるエリンギウムの周りを旋回し、浅い光の水たまりをあちこちの砂の上に残す。波が引いた後に薄黒の輪郭が残る。霧に覆われていた柔らか…

社会的美徳こそが美徳(クリスタキス『ブループリント』)

「私が言いたいのは、人間の美徳の大半は社会的美徳であるということだ。人は、愛、公正、親切を大切にするかぎり、それらの美徳をほかの人びとにかんしていかに実践するかを大切にする。あなたが自分自身を愛しているか、自分自身に公正であるか、自分自身…

「夜明けはまだ」(ウルフ、私訳『波』1)

「夜明けはまだ来ていない。海と空は見分けられない。けれど、海のほうにはわずかに折り目がついている。皴のよった布地のように。次第に空が白み始め、水平線が暗い線となり、空が海と分かたれる。グレーの布地を押しとどめる厚く重いウネリが、ひとつまた…

特任講師観察記断章。グループワークを意識的に導入。

特任講師観察記断章。今学期は最初からグループワークを意識的に導入してみている。きちんと理解してもらうには、こちらから解説するだけでは足りないし、問題を何度も解くだけでも不充分だ。自分で説明できるようにならなければならない。さらに言えば、口…

円熟的に批判的に老いること:エマーソン四重奏団の「晩年の様式」

弦楽四重奏団は、肉体的な老いによる演奏技術の衰えと、親密な交わりであるがゆえの人間関係の鈍化や深化と、音楽理解や演奏解釈のマンネリ化や円熟とのあいだの折り合いをつけていくのが難しい組織形態ではないだろうか。 うまく老いたカルテットは多くない…

ミニマルな人類学または詩(今福龍太、吉増剛造『アーキペラゴ――群島としての世界へ』)

「今福 「文学的」という表現を否定辞として使えるほどに学問世界は詩や文学への通路を失っているのが現在です。/僕にとっては、思考とか論理とか感情とかが身体とまだ分離しない状態に言葉を直接ぶつけて、そこから何が生まれるか――その生成の瞬間をそのま…

存在論的痛苦、ネガティヴ・ケイパビリティ、雑在や雑存:吉増剛造『詩とは何か』(講談社現代新書、2021)

それが一旦開いたら、そこから風がどっと流れ込んでくる。(227頁) 吉増剛造の詩は、彼を導管としてわたしたちの耳に届く別の宇宙、別の次元からの言葉を書き留めたものであり、そのような言葉ならざる言葉、言葉にならざる何かを、にもかかわらず、言葉に…

踊るように弾き、弾くように踊る:Terje TønnesenとNorwegian Chamber Orchestraの楽しい音

室内オーケストラは中途半端な存在だ。フルオケの縮小版か、四重奏の拡大版か。全体はどう組織されるのか。指揮者のごとき1つの統合点を持つのか。各パートのリーダーをハブとする階層構造か。 Terje Tønnesenが芸術監督を務めた時期のNorwegian Chamber Orc…

強制的告白と消極的殺人者の後悔:濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

村上春樹の同名の短編を原案とする濱口隆介の『ドライブ・マイ・カー』は、生き残ってしまった遺族の後悔、相手を見殺しにしてしまった消極的殺人者の罪悪感を基調とする物語であり、妻を亡くした夫が、母を亡くした娘が、自動車という閉鎖空間のなかで、過…

忠実で正統で挑発的な伝統の王道:Voyager Quartetの超越的な穏健さ

弦楽四重奏はとても親密な交換なのであって、精密さを競うものではないということを、Voyager Quartetの演奏によってあらためて思い知らされている。 19世紀後半の量的にも質的にも肥大化するオーケストラは必然的に規律訓練を必要とするものになっていった…

問いかける存在として:レベッカ・ソルニット、東辻賢治郎訳『私のいない部屋』(左右社、2021)

自伝をいつ書くか、どう書くか。答えの出ない問題だ。人生の総決算として書くのか、これからのロードマップとして書くのか。編年体で客観的に綴るのか、連想で飛躍しつつ主観的に語るのか。 ここでソルニットは、その中間を行く。時系列を基調とするが、細か…

強いられたものではあるけれど、不快というわけではない親密さ:ウィム・ウェンダース・レトロスペクティブ

@シネ・ギャラリー ウィム・ウェンダース・レトロスペクティブで6作品をまとめてみた。『都会のアリス』(1974)、『まわり道』(1975)、『さすらい』(1976)、『アメリカの友人』(1977)、『パリ、テキサス』(1984)、『ベルリン・天使の詩』(1987)。…

「いつでも夢をみよう。」(ゾラからセザンヌへの手紙)

「しかし、僕に希望がないなんてことがあるだろうか。僕らはまだ若く、夢に溢れ、人生はやっと始まったばかりではないか。思い出や後悔は老人にまかせよう。それらは彼らの宝物で、震える手でページをめくり、めくる度にほろりとする、過去という書物だ。僕…

ダメージの存在しない世界を想像しなければならない(ソルニット『私のいない部屋』)

「この世界の半分には、女たちの恐怖と痛みが敷き詰められている。あるいはむしろ、それを否定する言葉で糊塗されている。そして、その下に眠っている幾多の物語が陽の目を見る日がくるまで変わることはない。私たちは、そんな風にありきたりで、どこにでも…