うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

引用

中間から語り直す(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「本当にラディカルな説明は、ひょっとすると、間にある時と場という角度から、人間の歴史を語り直すのかもしれない。[A truly radical account, perhaps, would retell human history from the perspective of the times and places in between.]」(グレー…

アカデミズムの非民主的思い込み(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「どのような種類のものであれ、民主的な制度や機関が遠い過去にあったことを主張するとなると、学者たちは、曖昧さのない反駁不可能な証拠を求める傾向にある。驚かされるのは、トップダウン型の権威構造となると、学者たちがそれほど厳密な証拠を求めたり…

濫用権としての財産権(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「ローマ法の財産の捉え方——それは今日、ほとんどすべての法体系の基盤である——をユニークなものにしているのは、ケアとシェアの責任を最小限にまで切り詰めている、それどころか、完全に切り捨てているところだ。ローマ法では、所有にかんして三つの基本権…

人間の原初的な反抗心(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「遠くの地で受け入れてもらえることがわかっているからこその、共同体から抜ける自由。一年の時期に応じて、社会構造のなかをあちこち異動する自由。権威に従わず、大事に至らない自由。これらはみな、わたしたちの遠い祖先のあいだでは当然のものとみなさ…

「わたしたちは共に自らを創り出していくプロジェクト」(グレーバー、ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「さまざまな形態の社会組織を実験的に試みていく能力それ自体が、わたしたちを人間たらしめているものの核心をなしているのではないだろうか。つまり、自らを創造する能力、自由さえをも創造する能力を備えた存在としてのわたしたちを。本書で見ていくよう…

皮膚に触れる、脳に触れる(モンティ・ライマン『皮膚、人間のすべてを語る』)

「皮膚は一見すると何もない吹きさらしの土地のように映る。だがじつは、私たちの身体はドキュメンタリー映画が撮れそうなほど多彩な生物の生息地で覆い尽くされている。そこで暮らす「野生の」生物たちにとっては、私たちの皮膚こそが世界なのだ。」(モン…

枯れ木に棲むものたち(アンヌ・スヴェルトルップ=ティーゲソン『昆虫の惑星』)

「枯れ木の幹や枝や根は、生きものたちの家だ。北欧では、六〇〇〇種近い生きものが枯れ木を棲みかにしている。北欧に棲む生き物は一万八〇〇〇種以上と考えられている。つまり、全体の三分の一の種が枯れ木で暮らしていることになる。枯れ木に棲む種のおよ…

サドとヘルダーリンとベンヤミン:三島由紀夫『春の雪』

「なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつてわれわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いづれも手で触れることのできない点でも共通してゐます。手で触れることので…

「独り静けさのなか」(ヨネ・ノグチ「序詩」)

"Alone in the tranquility, I see the colored-leaves of my soul-trees falling down, falling down, falling down upon the stainless, snowny cheeks of this paper." (Yone Noguchi. "Prologue" in Seen and Unseen.) 「静けさのなかで僕は独りきりで見…

絶えず似ているところを見つける技術としての優しさ(オルガ・トカルチュク『優しい語り手』)

「優しさとは、人格を与える技術、共感する技術、つまりは、絶えず似ているところを見つける技術だからです。物語の創造とは、物に生命を与えつづけること、人間の経験と生きた状況と思い出とが表象するこの世界の、あらゆるちいさなかけらに存在を与えるこ…

社会的美徳こそが美徳(クリスタキス『ブループリント』)

「私が言いたいのは、人間の美徳の大半は社会的美徳であるということだ。人は、愛、公正、親切を大切にするかぎり、それらの美徳をほかの人びとにかんしていかに実践するかを大切にする。あなたが自分自身を愛しているか、自分自身に公正であるか、自分自身…

ミニマルな人類学または詩(今福龍太、吉増剛造『アーキペラゴ――群島としての世界へ』)

「今福 「文学的」という表現を否定辞として使えるほどに学問世界は詩や文学への通路を失っているのが現在です。/僕にとっては、思考とか論理とか感情とかが身体とまだ分離しない状態に言葉を直接ぶつけて、そこから何が生まれるか――その生成の瞬間をそのま…

「いつでも夢をみよう。」(ゾラからセザンヌへの手紙)

「しかし、僕に希望がないなんてことがあるだろうか。僕らはまだ若く、夢に溢れ、人生はやっと始まったばかりではないか。思い出や後悔は老人にまかせよう。それらは彼らの宝物で、震える手でページをめくり、めくる度にほろりとする、過去という書物だ。僕…

類的な存在の個人的な寂しさの普遍性(『吉本隆明代表詩選』)

「若し場処を占めることが出来なければ わたしは時間を占めるだろう 幸ひなことに時間は類によって占めることはできない 」(吉本隆明「固有時との対話」『吉本隆明代表詩選』94頁) 「わたしはほんたうは怖ろしかつたのだ 世界のどこかにわたしを拒絶する風…

ダメージの存在しない世界を想像しなければならない(ソルニット『私のいない部屋』)

「この世界の半分には、女たちの恐怖と痛みが敷き詰められている。あるいはむしろ、それを否定する言葉で糊塗されている。そして、その下に眠っている幾多の物語が陽の目を見る日がくるまで変わることはない。私たちは、そんな風にありきたりで、どこにでも…

普遍的王様的幸福(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「楽しい考え」)

"The world is so full of a number of things,/ I'm sure we should all be as happy as kings." (Robert Louis Stevenson, "Happy Thoughts" in A Child's Garden of Verses.) 「この世界には/いろんなものがいっぱいあるから/ぼくたちはみんな/王さま…

テロとはなにか(小林エリカ『トリニティ、トリニティ、トリニティ』)

「しかしながら、いま、本当の記憶障害におかされているのは、わたくしではない。目に見えざるものたちを、過去を忘却しながら、微塵の苦しみさえ感じることのない人々の方ではありませんか。/もしも目に見えざるものを、その怒りや哀しみを、目に見える形…

書かれなかったものを読む(ホフマンスタール「痴人と死」)

思えば人というものは、なんと不思議なものだろう。 解きあかすことのできなことも解きあかし いちども文字に書かれたことのないものも読み もつれたものを自由に結びつけながら さらに永遠の闇のなかで道を見出すのだ Wie wundervoll sind diese Wesen, Die…

与えることと受け取ることの非対称性(シュテファン・ゲオルゲ「苦悩の友 」)

惜しみなく己を与える人は受け取ることのなんと少ないことか Wer ganz sich verschenkt wie er wenig empfängt (シュテファン・ゲオルゲ「苦悩の友 [Schmerzbrüder]」『ゲオルゲ全詩集』136頁)

夢見られたこの未来の社会(ゾラ『金』)

「夢見られたこの未来はすべて不可能に思われますし、この未来の社会について、理にかなったものを人々に与えられるところまできていません。公正な労働からなるこの社会の気風は、わたしたちの社会とひどく違ったものになるでしょう。それは別の惑星の別の…

愚鈍さと賢明さ(シンボルスカ「世紀の没落」)

愚鈍さは 滑稽なことではない 賢明さということは、楽しいことではない (シンボルスカ、つかだみちこ編・訳「世紀の没落」『シンボルスカ詩集』87頁)

「だれかが後片付けをしなくてはならない」(シンボルスカ『シンボルスカ詩集』)

戦争が終わった後では だれかが後片付けをしなくてはならない 張本人が じぶんですることなど まずあり得ないのだから (シンボルスカ、つかだみちこ編・訳「終わりと始まり」『シンボルスカ詩集』97頁) もしも私がこの国ではなく 他の種族に生まれていたと…

「考えてほしい、こうした事実があったことを。」(プリーモ・レ―ヴィ「聞け(シェーマ)」)

考えてほしい、こうした事実があったことを。 これは命令だ。 心に刻んでいてほしい 家にいても、外に出ていても 目覚めていても、寝ていても。 そして子供たちにも話してやってほしい。 さもなくば、家は壊れ 病が体を麻痺させ 子供たちは顔をそむけるだろ…

句読点を必要としない毛筆書き(石川九楊『書とはどういう芸術か』)

「句点や読点は毛筆書きの時代にはなかった。必要としなかったのだ。毛筆書きの場合には、その字画の太さや力、速さ、文字間隔などの肉筆の書きぶりの中に、息つぎや、休止、終止の意味が微妙に書き表されていた。ところが、肉筆を印刷文に転換すると、微妙…

理解を埋め合わせる友情(ジャン=ミシェル・ネクトゥー「序論」『サン=サーンスとフォーレ――往復書簡集1862-1920』)

「おそらく、最も注目に価すると考えられることは、サン=サーンスがたとえフォーレをもはや理解しなくなっても、彼を大家と見なし続けたことであろう。フォーレは実際、サン=サーンスの作品の明快で公正な性向を、常に保っていたが、サン=サーンスは、か…

「私は繊細さの領域をいっそう広げました」(J・M・ネクトゥー『ガブリエル・フォーレ 1845-1924』)

「フォーレはまさに陶酔に近い喜びをもった中庸の音楽家なのであり、したがって、彼が伝えようとする深い内容やその哲学に気づくことなく、性急で注意を怠った聞き方をすれば、その音楽は優柔不断で単調なものにしか聞こえないであろう。/けれども、かつて…

別の遊星からの大気(シュテファン・ゲオルゲ「忘我 」)

「私は感ずる 別の遊星からの大気を。[ Ich fühle luft von anderem planeten.]」(シュテファン・ゲオルゲ「忘我 [Entrueckung]」『ゲオルゲ全詩集』202頁)

内側から支配を敗北させる(カトリーヌ・マラブー『抹消された快楽』)

「解放のためには、権力と支配がみずからを覆す転換点を見出すことが不可欠である。自己転覆という考え方は、アナーキストの思考における決定的な考え方のひとつだ。外部から働きかけるだけでは、支配を覆すことはできない。支配の内部には亀裂が走っており…

物語収集家が物語になる(泉鏡花『夜叉ヶ池』)

「僕は、それ諸国の物語を聞こうと思って、北国筋を歩行いたんだ。ところが、自身……僕、そのものが一条の物語になった訳だ。――魔法つかいは山を取って海に移す、人間を樹にもする、石にもする、石を取って木の葉にもする。木の葉を蛙にもするという、……君も…

「正しく強く生きる」(宮沢賢治)

いまこそおれはさびしくない たったひとりで生きて行く こんなきままなたましひと たれがいっしょに行けようか(「小岩井農場」) ((幻想が向ふから迫ってくるときは もうにんげんの壊れるときだ))(「小岩井農場」) (考へださなければならないことを …