うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

引用

動物絶滅を後押しする近代の帝国(ハドソン『ラ・プラタの博物学者』)

「すべての家畜動物は、われわれが暗黒の時代とか未開の時代と習慣的にみなしているこれらの遠い時代から伝えられたもので、いっぽう近代のいわゆる人間の文明が、動物社会に対しては破壊そのものでしかないとは悲しいことである。地球全体でますます盛んな…

借用の拒否の研究(モース『国民論』)

「有用なものでさえ借用を拒絶されるということも、観察の対象としなくてはならないのです。借用が起こったことの研究と同じくらい、借用が起こらなかったことの研究は興味深い。それというのも、この研究によってこそ、多くの事例において各文明の広がりの…

普遍言語の可能性(モース『国民論』)

「文明どうしは相互に出会い、相互い補完することができる。少なくともわたしたちの近代語彙のほぼ三分の一は、そしてまた、わたしたちの会話の大きな部分は、同一の格言やら言い回しやらで満ちあふれている。純粋理性・実践理性・人間的判断力の獲得物にほ…

時の海を漂ってやってきた動物を滅ぼす人間(ハドソン『ラ・プラタの博物学者』)

「昔、これらの動物たちには生命力が最高に輝いていた。そして彼らとともに地球にいた他のものたちが死に絶えたときも、彼らはより永続する価値があるとして残された。不死の花のように、彼らは時の海に漂ってわれわれの時代にまでやってきた。そして彼らの…

自分自身を贈ること(エマソン「ギフト」)

「あなたの一部だけが贈物でありうる。わたしのために血を流してくれなければならない。だから詩人は自身の詩を携えてくる。羊飼いは羊を。農夫は穀物を。鉱夫は原石を。水夫は珊瑚や貝殻を。画家は自身の絵画を。少女は自分で縫ったハンカチを。これは正し…

贈物を拒否することの暴力性(モース『贈与論』)

「与えるのを拒むこと、招待し忘れることは、受け取るのを拒むことと同様に、戦いを宣するに等しいことである。それは、連盟関係と一体性を拒むことなのだ。[Refuser de donner, négliger d'inviter, comme refuser de prendre, équivaut à déclarer la guer…

立派すぎる論文(ダーウィンからベイツへの手紙)

「あなたの論文は、情熱を欠いた博物学者のおおかたから高く評価されるには、あまりにも立派すぎるのです。[Your paper is too good to be largely appreciated by the mob of naturalists without souls]」(ダーウィンからベイツへの手紙、1862年11月20日 …

共食の倫理(阿部謹也『中世の星の下で』)

「仲間団体とは何よりもまず飲食を共にし共に歌う団体でなければならなかった。近代人は飲食をともすれば軽視しがちであるが、中世においては仲間団体である限りきまった日時に皆が揃って食べ、かつ飲んだのであり、そこにおける規律、約束が対人関係の倫理…

「旅は生命をかけた行為」(阿部謹也『中世の星の下で』)

「旅は本来定住生活のなかで澱んできた身辺を洗い直し、目に見えない絆で結ばれている人間と人間の関係を再確認するための修行なのであって、日本だけではなく、ヨーロッパにおいても旅は生命をかけた行為なのである。」(阿部謹也『中世の星の下で』14頁)

「美しい空虚な気持」(川端康成「伊豆の踊子」)

「私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。」(川端康成「伊豆の踊子」)

「ひたすら共生を歓ぶ知性」(高尾歩「訳者あとがき」、メーテルリンク『花の知恵』)

「メーテルリンクにとって、人間の知性は、何より自ら闇を用意して自己証明を行ってゆく永遠の生成原理であった。闇は、それが認識されるとき既につねに知性の衝動を引き受けている。そして、メーテルリンクにあっては、その闇のなかに必ず、姿形を纏いなが…

誤謬の価値(メーテルリンク『蜜蜂の生活』)

「おそらくこれは誤謬にすぎないだろう。しかし誤謬ではあっても、ある事物が私たちにいちばんすばらしく見える瞬間こそが、その事物の真理に気づく可能性のもっとも多い瞬間であることに変わりはないのだ。」(メーテルリンク『蜜蜂の生活』212‐13頁) Peut…

人間以外の知性、または人間の知性の非孤独性(メーテルリンク『蜜蜂の生活』)

「人間以外のものに本当の知性の兆候を見つけること、そこにわれわれは孤島の砂浜に人間の足跡を発見したロビンソン・クルーソーの感動に似たものを感じている。われわれが信じているほど、われわれは孤独な存在ではないらしい。蜜蜂の知性を理解しようとす…

「理解を伴わぬ明澄感」(古井由吉「一作家にとってのマラルメ」)

「まず始めに、難解どころか、私にとってはほとんど絶対的と思われる読解不可能に行きあたる。ところが、辛抱してあれこれ、詩句に沿って「文章」を組み立てるうちに、腑に落ちたというほどのこともないのに、明澄感に照らされる。理解を伴わぬ明澄感、これ…

大英帝国より広いダーウィンの思想(デイヴィッド・スローン・ウィルソン『みんなの進化論』)

「ダーウィンは見ならうべきお手本になる。どんな日でも、フジツボ類を解剖したり、自分の子どもたちの行動をつぶさに観察したり、ハツカネズミに種を与え、次にこのネズミをロンドン動物園のタカに与えて、その種を発芽させたりする彼の姿が見られただろう…

一ではなく多を(グレーバー『価値論』)

「いま、私たちに本当に必要なのは、一つではなく、可能な限り多くの異なる構想だ、と私は思う。[It strikes me that what we really need now is not one but as many different visions as possible.]」(グレーバー『価値論』358頁)

社会的行為としての創造性(グレーバー『価値論』)

「創造性が、行為者と分析者の両方にとって分かりにくい理由は、これらの力が——まさに——根本的に社会的なものだ、という事実からくる。創造性は、他者との関係の構造が、私たち自身の存在の構成要素になるまで内在化されていく絶え間ない過程を通して生まれ…

生成の完全な潜勢力としての嘔吐(ウェイレンズーグレーバー)

「クワキウトルにとって、嘔吐は汚いものではない。口唇的メタファーの文化にとっての嘔吐は、性的メタファーにとっての精液のようなものである。物質的存在の重要な範疇であり、特定のかたちを持たない未分化の資料の象徴であり、生成の完全な潜勢力である…

想像力の批判力と革命性(グレーバー『価値論』)

「想像力は、ものごとには別のやり方があるという可能性の存在を示唆する。それゆえ、人は、現実に存在する世界を想像力を働かせながら見るとき、必然的に現実世界を批判的に見ているのである。想像した社会を現実のものにしようとするとき、人は革命に従事…

「真の恋は、心と心」(泉鏡花『天守物語』)

「真の恋は、心と心」(泉鏡花『天守物語』) 言葉の響きが面白い。 ローマ字にするとはっきりするけれど、「お」の音が多い。 shi n no ko i ha ko ko ro to ko ko ro というか、後半は「お」しかない。 前半も、「い」でサンドイッチされている部分は「お…

書いては消す(呉明益『複眼人』)

「この紙に繰り返し小説を書き、消してはまた別の小説を書き、書いてはまた消す。そしていつか誰かがこの小説を読んだ時には、一篇の小説ではなく実は無数の小説になっているかもしれない。」(呉明益『複眼人』144頁)

自由(ラングストン・ヒューズ「民主主義」)

「死ぬときに自由なんていらない。/明日のパンじゃ今日は生きられない。/自由/という強い種/が植え付けられた/のはそれがとてもとても必要とされているところ。/ここに生きているのだ、わたしも。/わたしは自由を欲している/きみと同じさ。[I do not…

死後の名誉(シェイクスピア『リチャード二世』)

「この一身なら陛下の足もとに投げ捨てます、喜んで。/私の一身は陛下のものですが、私の恥は私のものです、/いのちを捧げるのは臣下の義務ですが、名誉は別です、/私が死んでも名誉はなお墓の上に生き続けねばなりません、/それを汚すことは、たとえ陛…

貧しい連中を罰する神さま?(チャペック『白い病』)

「貧しい連中を罰する神さまがいるとしたら、よっぽど変わり者の神さまじゃないか?」(チャペック『白い病』10頁)

偉大な思想に鼓舞された普通の人間(クロポトキン『相互扶助論』)

「わたしたちの誰もが知っているように、政治とは、社会のなかの純粋に利己主義的な要素が、利他的な熱望ともっとも錯綜した結合をなす領域である。しかし、経験のある政治家なら誰でも知っているように、偉大な政治運動はすべて、大きな問題めぐって闘われ…

自由、友、母に帰る(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「わたしたちは本書をとおして、3つの原初的自由にたびたび言及してきた . . . 移動の自由、不服従の自由、社会関係を築いたり変えたりする自由である。またわたしたちは、英語の free がどのようして究極的にはドイツ語の「友」を意味する語に由来するのか…

官僚制を怪物にしてしまう力(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「「官僚制」という言葉自体が、機械的な愚鈍さを喚起する。しかし、非人称的なシステムがその起源において愚かであった、ないしは、必然的に愚かである、と信じる理由は何もない . . . 田舎のコミュニティで暮らした経験があったり、大きな街の自治会や教区…

君主制のおける子どもの政治的重要性(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「 . . . 君主制はおそらく、わたしたちが知っている著名な統治制度のなかで、子どもが決定的なプレイヤーとなる唯一のものだろう。というのも、すべては王朝の家系を途絶えさせない君主の能力にかかっているからだ。どのような体制でも死者崇拝はありえる。…

中間から語り直す(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「本当にラディカルな説明は、ひょっとすると、間にある時と場という角度から、人間の歴史を語り直すのかもしれない。[A truly radical account, perhaps, would retell human history from the perspective of the times and places in between.]」(グレー…

アカデミズムの非民主的思い込み(グレーバー&ウェングロウ『すべてのはじまり』)

「どのような種類のものであれ、民主的な制度や機関が遠い過去にあったことを主張するとなると、学者たちは、曖昧さのない反駁不可能な証拠を求める傾向にある。驚かされるのは、トップダウン型の権威構造となると、学者たちがそれほど厳密な証拠を求めたり…