うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2024-01-01から1年間の記事一覧

20240303 『高畑勲展——日本のアニメーションに遺したもの』@静岡市美術館を観る。

20240303@静岡市美術館『高畑勲展——日本のアニメーションに遺したもの』は大変充実した展示だった。手書きのノートから絵コンテからイメージボードから原画まで、ポスターやちょっとしたインタビューやアニメーション映像まで、相当な点数があり、美術館が「…

翻訳語考。「間」と「pause」のズレ、または訳語が原語よりも多義的な場合。

翻訳語考。戯曲を読んでいると、「(間)」というト書きと遭遇する。いま読んでいるベケットの『ゴドーを待ちながら』の場合、どちらもベケット自身の手になるフランス語版と英語版があるけれど、邦訳における「間」に相当するフランス語は「un temps」であ…

真の価値革命、または万人愛(マーティン・ルーサー・キング)

"A genuine revolution of values means in the final analysis that our loyalties must become ecumenical rather than sectional. Every nation must now develop an overriding loyalty to mankind as a whole in order to preserve the best in their i…

非暴力の力、または、良心と共に在ることができる社会(マーティン・ルーサー・キング)

"For we’ve come to see the power of nonviolence. We’ve come to see that this method is not a weak method, for it’s the strong man who can stand up amid opposition, who can stand up amid violence being inflicted upon him and not retaliate w…

歌い舞うバーバラ・ハンニガンの指揮、または音楽を先取りする身体性

ピアノ奏者や弦楽器奏者や管楽器奏者から指揮者に転向した例となれば、いくらでも思い浮かぶし、兼業してそのどちらでも成功している音楽家の名前をすぐさま挙げることができる。しかし、声楽家から指揮者に転向した事例となると、いろいろと考えてみて、声…

翻訳語考。practical は practice の形容詞系なのだろうか。または、「的」の問題。

翻訳語考。practical は practice の形容詞系なのだろうか。そのとおりではあると思う。しかし、では、practice を「実践」と訳せるからといって、practical を「実践的」と訳していいものだろうか。 フランス語の pratique ならそれもありかなと思い、仏和…

最後までロックに、アグレッシヴに:エマーソン四重奏団のアメリカ性

音響のごまかしが一切効かなさそうな NPR の Tiny Desk Concert でこれほどの精度の演奏を繰り広げるのにはまったく驚かされる。そして、これほどまでにアグレッシヴさを、50年近くにわたる活動の最後まで保ち続けたことに心を打たれる。 視覚的情報に頼るの…

翻訳語考。「From each according to his ability, to each according to his needs」の訳し方。

マルクスの『ゴータ綱領批判』で使われていること有名な「Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen!」というフレーズがある。スタンダードな英訳は「From each according to his ability, to each according to his needs」だろうか…

翻訳語考。All の別の訳し方、「つねに」または「例外なく」。

翻訳語考。All を、量的な「すべて」ではなく、時間‐頻度的な「つねに」や、条件的な「例外なく」にすり替えることは、どこまで許容されるだろうか。 All redistributive reforms face this challengeは、素直に訳せば、当然ながら、「あらゆる再分配的な改…

20240130 Duolingoでのロシア語学習が1年突破。

Duolingoでロシア語を勉強し始めて1年が過ぎた。何が身に付き、何が身に付いていないのかを、ざっと書き出してみる。 +初級文法はおおむね理解した。格変化をすべてきちんと覚えたとは言わない。動詞の完了体(動作が完結し、その影響が現在も続いている)…

翻訳としての書く行為(ル=グウィン『世界の果てでダンス』)

「翻訳というのは実に謎めいています。いよいよ私は書くという行為そのものが翻訳である、あるいは他のいかなるものよりも翻訳のようなものであると感じるようになりました。もうひとつのテクスト、オリジナルは何でしょう? 私は答えを持ち合わせていません…

文体はリズム(ウルフからヴィタ・サックヴィル=ウェストへの手紙)

「文体はとても単純な問題です。すべてはリズム。いったんリズムをつかんだら、間違った言葉を使うなんてことはありえなくなる。でも、そうは言いつつ、朝も半ばすぎているのに、わたしはここに座っている。アイディアやヴィジョンなんかが頭に一杯詰まって…

抵抗と変化(ル=グウィン『私と言葉たち』)

「本は単なる商品ではありません。利益追求という動機は、芸術の目標とは嚙み合わないことがしょっちゅうです。私たちは資本主義社会で暮らしています。資本主義的な力からは逃れられないように思われます。けれど、王の神授の権だってそうだったのです。ど…

個人的にして社会的な生、または資本主義と共産主義のジンテーゼとしての兄弟愛の国(M・L・キング「ここからどこへ行くのか」)

「私の理解では、マルクスはヘーゲルを十分踏まえていない。(「分かった」)彼はヘーゲルの弁証法は取り上げたが、彼の唯心論と精神主義は取り除いた。そしてマルクスはフォイエルバッハという名のドイツ哲学者を取り上げて、その唯物論を自分が「弁証法的…

動物の他者性、異質性と結びつくこと(ル=グウィン『いまファンタジーにできること』)

「わたしたちは孤立すると気が狂う。わたしたちは社会性に富む霊長類だ。人間には属することが必要だ。お互いに属すること。もちろん、それが第一だ。けれども、わたしたちは遠くまで見ることができ、賢く考えを巡らすことができ、大いに想像することができ…

子どもが読む本を真面目に受け取る(ル=グウィン『いまファンタジーにできること』)

「子どものために書かれたから、あるいは、子どもが読むからという理由で、本をまじめな考察の対象から外し、投げ捨てるというのは、反知性主義的な野蛮な行為にほかならない。」(ル=グウィン、谷垣暁美訳「批評家たち、怪物たち、ファンタジーの紡ぎ手た…

想像力による文学の問いかけ、または戦争以外の可能性(ル=グウィン『いまファンタジーにできること』)

「(年齢にかかわらず)成熟していない人たちは、道徳的な確かさを望み、要求します[…]彼らは勝つ側にいると感じたいのです。少なくともそのチームの一員だと思いたいのです。彼らにとって、ヒロイック・ファンタジーは、倫理的な明快さを感じさせてくれる…

必然性の国を基礎にしてのみ開花しうる自由の国(マルクス『資本論』第3巻)

「自由の国は、実際、窮迫と外的合目的性とによって規定された労働がなくなるところで初めて始まる。したがって、それは、事柄の性質上、本来の物質的生産の領域の彼方にある。未開人が、彼の欲望を充たすために、彼の生活を維持しまた再生産するために、自…

人間と世界の人間的な関係、または Can't Buy Me Love(マルクス『経済学・哲学草稿』)

「人間が人間として存在し、人間と世界との関係が人間的な関係である、という前提に立てば、愛は愛としか交換できないし、信頼は信頼としか交換できない。芸術を楽しみたいと思えば、芸術性のゆたかな人間にならねばならない。他人に影響をあたえたいと思え…

自分以外のために(野田サトル『ゴールデンカムイ』)

「自分のためだけなら簡単に諦めが付く/何かのためなら命をかけて戦える」(野田サトル「第296話 武士道」『ゴールデンカムイ』)