うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

歌い舞うバーバラ・ハンニガンの指揮、または音楽を先取りする身体性

ピアノ奏者や弦楽器奏者や管楽器奏者から指揮者に転向した例となれば、いくらでも思い浮かぶし、兼業してそのどちらでも成功している音楽家の名前をすぐさま挙げることができる。しかし、声楽家から指揮者に転向した事例となると、いろいろと考えてみて、声楽家としては果てしなく偉大でありながら、晩年の指揮者としての活動はパッとしなかったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウプラシド・ドミンゴをかろうじて思い出すぐらいだ。ましてや、声楽家と指揮者の両方を同時に追求していた音楽家となると、まったく前例がないように思う。だからこそ、バーバラ・ハンニガンの歌い振りはますます革新的に思われる。

1971年生まれのハンニガンは、コンテンポラリーも歌うクラシックな声楽家ではなく、最初からコンテンポラリーのパフォーマーとしてキャリアを歩んでいったらしい。「パフォーマー」とあえて書いたのは、彼女にとって「声」は、表現のためのもっとも重要な媒体ではあるものの、唯一の手段として扱われてはいないように思うからだ。たとえば、リゲティのオペラ『ル・グラン・マカーブル』から初演指揮者のエルガー・ハワースが編曲した『マカーブルの秘儀』は、ハンニガンの十八番なのか、YouTubeにいくつか動画が上がっており、コンサート形式ではあるものの、そのままオペラに出てきてもおかしくないような装いで歌っている。そしてそこで、彼女の演技は完全に歌と融合している。まるでパフォーマンスの必然として歌っているかのように*1

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器楽系のコンテンポラリーは、奏者に肉体的限界を強いるし、楽器の生理に反するようなことをさせる——すくなくとも、クラシックの常識からすれば考えられない軋みや歪みがある———せいで、リスキーな曲芸を見せられているようで、どうにも落ちつかない部分がある。表現手段のはずの技術が、技術の困難さ(の克服)それ自体が、表面化しすぎていることも少なくない。それはコンテンポラリーの声楽曲でも同じことではある。けれども、驚くほど広い声域と卓越した技術を持っているらしいハンニガンは、譜面的には怖ろしく困難なはずの曲を、実に易々と歌い切ってみせる。どう言えばいいだろうか、彼女が歌うと、コンテンポラリーでも確かに「音楽」に聞こえるのだ。頭でっかちな言い訳なしに、直感的なレベルでそう感じさせてくれるのだ。

彼女は歌っているというよりも、歌をとおして音楽を具現化させ、それにみずからの身体でもって応えている。だから、ここでは、歌っていることがまったく自然に思われてくる。彼女自身が音楽的出来事になっている。既存の譜面を再現しているというよりも、彼女がその場で音楽を創造しているかのように。

ハンニガンの指揮は、職業的指揮者のそれとはまったく別物であるように感じられる。彼女の指揮は、奏者に事務的な指示を出しているのではなく、音楽に合わせて舞っているような感じすらある。とくに歌い振りのときは、必然的に、オーケストラには背を向けて、観客席のほうを見なければならない時間のほうが長いし、だから、彼女は演奏自体はオーケストラにゆだねているような感じもする。細部まで振っていないように見える。

しかし、それは彼女のやっていることの記述としてはミスリーディングになる。彼女は拍子を振っているのでなければ、音楽を後追いして踊っているのでもない。自分が舞うべき音楽を予示して舞っているのだ。彼女の身体が、音楽が実現すべき理想を先取りして体現している。

だから、彼女の指揮する音楽は、映像で見なければならない。音だけ聞いてつまらないというのではない。声楽家らしく、すべての音が、楽器という道具の論理ではなく、声という肉体の生理に適った響きや流れになっているため、彼女が振ると、20世紀音楽ですら、驚くほど生々しく、抒情的に聞こえる。しかしながら、それはいわば、映画をラジオドラマとして聞くようなものだ。伝わってくるものはあるが、取りこぼされてしまっているものがあまりにも大きい。

このところ、女性指揮者の録音がメジャーレーベルからも出てくるようになってきたし、映画『TAR』のように、「女性指揮者」がアイコン化してきている部分もあるとはいえ、先駆者たちはある種の「男性性」を演じることを迫られてきたのではないかという気もする。たとえば、ボルティモア交響楽団を率いたマリン・オールソップ。または、その倒立像としての、過剰な女性性。

その意味で、ハンニガンがシンプルな装い―—意図的にノンジェンダーというわけでもなく、かといって、過剰に女性的というわけでもない自然体——で指揮台に立っている姿は、新しい時代の始まりを予告しているようでもある。かなり鍛えられたように見える身体にはアスリート的な強さがある。

個人的には、ガーシュインの Girl Crazy が抜群に格好いい。ちょっと甘ったるい響きや旋律と、ポップなリズムと、アクロバティックな音域と、すべてが見事にハマっている。

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*1:ベリオのセクエンツァも、彼女の演奏だと、なぜかものすごく面白い音楽に聞こえてくる。

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それから、ミシェル・ポルタルとの即興も面白い。声でクラリネットとセッションという発想がそもそもなかった。

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