うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

個人的にして社会的な生、または資本主義と共産主義のジンテーゼとしての兄弟愛の国(M・L・キング「ここからどこへ行くのか」)

「私の理解では、マルクスヘーゲルを十分踏まえていない。(「分かった」)彼はヘーゲル弁証法は取り上げたが、彼の唯心論と精神主義は取り除いた。そしてマルクスフォイエルバッハという名のドイツ哲学者を取り上げて、その唯物論を自分が「弁証法唯物論」と呼んだ体系に組み込んだ。(「語って!」)私はそれを拒否しなければならない。/私が今朝語っていることは、共産主義が人生が個人的なものであることを忘れているということである。(「そうだ!」)そして資本主義は人生が社会的なものであることを忘れている。(「そうだ、続けて!」)だから兄弟愛の国は、共産主義のテーゼにも資本主義のアンチテーゼにも、見出されない。(「語って!」)(拍手)それら両者の真理を結び付けるその上のジンテーゼ〔総合〕に、(「よし!」)見出されるのである。(「そうだ」)だから私が社会全体を問うと言う時には、それは究極的には、人種主義の問題と経済的搾取の問題と戦争の問題とを、一つの問題として理解することを意味するのである。(「分かった!」)これらは相互に関連し合った三重の悪である。」(マーティン・ルーサー・キング「ここからどこへ行くのか」『私には夢がある——M・L・キング講演・説教集』クレイボーン・カーソン、クリス・シェバード編、梶原寿監訳、214‐15頁)