うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。エンターテイメントの空間としての大学。

特任講師観察記断章。「大学がいまではもうエンターテイメントの場になっているのではないか」。非常勤で英語を教えている方が雑談のなかでふと口にした言葉が、ひどく腑に落ちた。

大学のテーマパーク化は1990年代ぐらいから(それとも1980年代から?)言われていたのだとは思うけれど、そこではまだ、「(知の領域であるべき)大学が(嘆かわしいことに)テーマパークのようになっている」という状況ではなかったかと思う。そこにはまだ、後ろめたさがあったのではないかと思う。

しかしいまや、大学「が」エンターテイメント空間「である」ことはもはや既成事実であり、教室はいわば、ショッピングモールのなかのカルチャースクールと化しているのかもしれない。100人以上を対象とする大講義の後ろの方に座っている学生たちが何をやっているのかと外から覗き見てみる。学生たちはもう臆面もなくPCやスマホでエンタメ的なコンテンツを愉しんでいる。教室のなかにエンタメが入り込んでいる。

ここまでAIが発展し、かつ、日常的に使用可能になった今、語学教育は成立するのかとも思う。聡いというか、賢しい学生は、テクストをグーグルレンズで自動翻訳しているようである。ライティングにしても、機械翻訳はデフォルトである。

わたしたちはいったいどこに向かっているのだろう。