うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。日本語における一人称複数の不在?

翻訳語考。一人称複数。日本語の一人称単数はバリエーション豊かであり、表記もいろいろと選べる。しかし、一人称複数のほうはどうだろう。ひょっとして、日本語には、一人称単数の複数形——わたし+たち、われ+われ、ぼく+ら、などなど――ではない、固有の一人称複数形がないのだろうか。

もちろん、日本語からすれば、単数複数といった数の概念も、人称の概念も、外から持ち込まれた異質なものであり、そのような軸とはべつの原理によって言語が構造化されているのだと言うことはできるだろう。

中国語はどうなのだろうと思って WIkitionary で調べてみると、北方方言では「我們」と「咱們」のふたつがあり、前者は聞き手を含まない排他的なものであり、後者は聞き手を含む包摂的なものであるとの説明がある。しかし、「」は代名詞の複数形を作る接尾辞であり、「我」と「咱」はどちらも一人称の代名詞のようだから、言葉の成り立ちとしては日本語の「わたしたち」と同じようなものに見える(というよりも、日本語の「わたしたち」のような言葉が、このような中国語の翻訳であると理解すべきところか)。

韓国語のほうは、フォーマルな「저희」とインフォーマルな「우리」があり、前者はフォーマルな一人称である「저」に複数形を作る接尾辞「」がついたもののようだが、後者はインフォーマルな一人称の「나」とは「語源が異なる」そうで、Old Korean(古代朝鮮語、1443年以前)にさかのぼるものなのだとか。漢字表記では「 」、「于」、「吾里」で、後者から見て取れるように、中国語の一人称「吾」に由来するようだが、それを一人称複数として借用したということらしい。カタカナで音を転記すれば「ウリ」となるこの語は、集団にたいする強いアタッチメントを表す語であるという。

とくに結論はありません。

 

各国語の一人称複数は以下のWikitionary のページの末尾を参照。

ja.wiktionary.org