うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20231122 スヴェン・リンドクヴィスト『「すべての野蛮人を根絶やしにせよ」——『闇の奥』とヨーロッパの大量虐殺』(青土社、2023)を読む。

あなたはもう、じゅうぶん知っている。私も知っている。欠けているのは知識ではない。私たちに欠けているのは、知っていることを理解し、結論を導き出す勇気だ。(11頁)

旅行記とノンフィクションと文芸批評のフュージョン。1932年生まれのスウェーデン作家リンドクヴィストは、19世紀から20世紀にかけてのポーランド出身でフランス語に堪能でありながら英語をみずからの執筆言語として選び取った元船乗りの小説家ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』(1899)のなかの「Exterminate all the brutes!〔すべての野蛮人を根絶やしにせよ!〕」の一節の出典を探る旅に出る。それが彼を、『闇の奥』のキャラクターたちのように、ヨーロッパ人である彼をアフリカに連れていく。

しかし、そのようなリアルなアフリカ旅行は、同時に、19世紀後半の言説空間へのダイブとパラレルで進行していく。わたしたちはサハラ砂漠をバスで旅するリンドクヴィストの個人的な旅の体験に立ち会うとともに、帝国主義を拡大させていく19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパ諸国の厚顔無恥にして二枚舌的な植民地主義についての歴史的知識を蓄えていく。

両者のあいだに歴史的必然性や論理的因果性があるわけではない。しかし、リンドクヴィストの個人的な旅行記と、旅行先で参照される過去のテクストについてのリンドクヴィストとのコメンタリーと、西欧近代による非西欧の侵略の歴史が重ね合わされていくと、そこには何か不思議な説得力が生まれる。これはおそらくドキュメンタリー映像には不可能な、書かれたテクストだからこその効果であるように思われる。

 

リンドクヴィストの書きっぷりは、おそらく、意図的に薄い。短い断章的なセクションが畳みかけるように続いていく。深く掘り下げるというよりも、広げていく。粗く網羅すると同時に、個々のエピソードを丹念にたどっていく。そうすることで、西欧近代の問題性を、ミクロかつマクロに、大づかみでありながら具体的でもあるようなかたちで、浮かび上がらせようとする。

そこには、当然ながら、西欧にたいする批判精神がたぎっている。たとえば、ヨーロッパは、火薬も大砲も発明しなかったが(それはどちらも中国人の手柄である)、その破滅的な効果を遺憾なく使用することで、世界史的視座からすれば「発展が遅れていて資源にも乏しかったヨーロッパが、遠くからでも破滅をもたらす大砲を載せた船の専売特許を獲得するに至った。ヨーロッパ人は大砲の神となり、敵の武器の射程内に入るはるか前から、殺戮を繰り広げられるようになったのだ」(77頁)。

安全な遠距離からのオーバーキルは、海軍だけではなく、陸軍にも当てはまることだった。銃である。

 

リンドクヴィストはさまざまなかたちで距離の問題をあぶりだしていく。ひとつは、すべてに述べたように、遠距離からの攻撃によって、一方的に殺すことができるという特権性であり、もうひとつは、植民地と本国との物理的な距離によって、植民地での暴虐が隠蔽されたり、嘘で塗り固められたりされていたことである。後者はいわば、情報伝達の不可避的なギャップ、植民地における真実を、有無を言わせぬ形で提示することができない技術的問題——カメラやビデオの不在——に起因するものだったのかもしない。

しかしながら、リングクヴィストが雄弁に続けるように、植民地における大量虐殺のニュースがすべてブロックされていたわけではなかった。それどころか、それは、事実としては流通していたのであり、その意味では、知ろうと思えば知ることができたものにほかならなかった。

 

だとしたら、いったいなぜ、植民地における大量虐殺が西欧の良心をうずかせることがなかったのか。いったいなぜ、植民地の人々のために事態を是正させるような、社会正義のための運動が起こらなかったのか。

それは、非ヨーロッパ人を「劣等人種」と認定し、根絶やしにすることのほうが相手のためになるとする科学=知が作り上げられてきたからである。虐殺を正当化する論理こそが、デフォルトとしてあったのである。生物学や人類学、キュヴィエ、ダーウィン、ヴァイツ。その他もろもろ。そしてそれがフィクションにも還流していく。H・G・ウェルズの『タイムマシン』。それから、当然ながら、コンラッドの『闇の奥』。

真の問題は、本国の目が届かない(すくなくともリアルタイムでは)をいいことに、植民地で狂ったように虐殺を断行した少数の人間たちの特殊な残虐性ではない。そうではなく、ほかの人種を根絶やしにするという考え方自体を受け入れていた宗主国の大多数の人間のほうである。

 

リンドクヴィストがコンラッドの一節をたどりながら引き出す結論は、怖ろしいものでもある。ナチスによるユダヤ人虐殺を正当化する論理は、ナチスの発明ではなく、西欧帝国主義のそれである。ほかの人種の根絶が、帝国の経済的な利害や、生存圏の問題として正当化しうるとしたら、後に残るのは、それを「どこ」で行うのかという問題でしかない。というよりも、それがヨーロッパの「外」で許されるとしたら、それが「内」で許されない理由はいったいどこに求めることができるのか。「ユダヤ人虐殺の歴史的な範例もまた、同じ伝統に属している——植民地でおこなわれていた民族虐殺だ」(244頁)。「長らくヨーロッパによる世界支配の土台となっていた絶滅思想を、より近代的かつ工業的な形で実現したのがアウシュヴィッツだった」(246頁)。

 

リンドクヴィストは悪しき相対主義に陥っているのだろうか。それどころか、ナチスによるユダヤ人虐殺を過去の虐殺と比較することによって、前者を多少なりとも免罪する可能性を招き寄せているのではないか。ヒトラーが言ったことは、ヨーロッパに蔓延していた思想の焼き直しにすぎなかった。ナチスのやったことは、ほかの虐殺よりもひどかったかもしれないが、それはあくまで程度の問題だ、というように。「俺が悪いのは認めるのが、お前も悪いじゃないか」と言うことで、泥沼の中傷合戦が展開されてしまうのではないか。

そのように言うことは可能かもしれない。しかし、ここでリンドクヴィストが言おうとしているのは、人種間の序列や生存圏の論理を持ち出して、ある人種によるほかの人種の根絶を正当化しようという論理それ自体が問題なのだ、ということなのだと思う。どれだけの人が虐殺されたのか、その数が重要であることは当然だ。しかし、これを数の問題、規模の問題に還元することは間違っている。

 

「特殊な例だ」と片付けて、目をつぶる。そのような意図的な盲目性が繰り返されてきた。

問題はわたしたちの無知ではない(わたしたちは虐殺が起こっていることを知っている)。犯されている罪に目をつぶること、それどころか、その罪をまことしやかな言説——科学、知、利害、イデオロギー――によって正当化することが、問題なのだ。

そして、闇の奥でおこなわれていたことがヨーロッパの中心で繰り返されたとき、だれも見覚えがあるとは言わなかった。だれもが知っていたことを、だれひとり認めようとしなかった。(263頁)

それを認めることは、「それまでの世界が崩壊し、自分自身を問い直さなければならなくなる」(264頁)。しかし、だからといって、そのような知識を否定してよいのか。リンドクヴィストはダメだとはっきり言う。

あなたは知っている。わたしも知っている。欠けているのは知識ではない。私たちに欠けているのは、知っていることを理解し、結論を導き出す勇気だ。(264頁)