うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20231123 「『ばらの騎士』サロン 制作部座談会」に行ってきた。

20231123@静岡芸術劇場「カフェシンデレラ」


「『ばらの騎士』サロン 制作部座談会」に行ってきた。「制作部」というのが、そもそも、いまひとつよくわからない。「文芸部」もわからないといえばわからないけれど、こちらはなんとなくながら、SPACの芸術的な側面や演劇祭のコンセプトデザインにかかわるブレーン的な部署なのだろうというイメージは持てる。「創作・技術部」はそれなりに想像できるし、最近の公演後のアフタートークのおかげで、かなり具体的なかたちで思い描けるようになってきた。しかし、「制作部」は依然として見えていない部分が大きい。そういう理由で行ってみたのだった。

有り体に言えば、「制作部」とは「裏方」。しかし、もっと創造的な言い方をするなら、「制作部」とは「つなぐ存在」。一方において、予算獲得という意味で、劇団を県——SPACは静岡県の公設団体である——や国とつなぐ。他方において、公演に向けた稽古のために、演目に関わる人々をつなぐ。そして、劇団を観客とつなぐ。広報活動やアウトリーチ活動をとおして。「制作部」自体はいわば「黒子」であり、見えなくて当然なのだろう。しかしながら、「なくてはならない存在」。

年間の演目決定のプロセスやスケジュールから、ざっくりとした収支内訳、制作部の内情から、『ばらの騎士』の広報活動まで、わりとディープな、「そこまで話していいの?」な話でした。以下、いくつか思ったこと。

劇団の歳入のうち、県からの予算や国からの助成金の割合が高いとは思っていたけれど、ここまでとは思わなかった。チケット収入や年間会員費は、全体としてみれば、かなり小さい。これは、裏を返せば、現代において演劇を興行的に成立させることがいかに困難であるかを物語っている。

劇団の歳出の大半は、人件費ということになるのだろうか。SPACの県にたいする供出のメインとなるのは、中高生鑑賞会だろうか。支出の割合はかなりざっくりとしたくくりになっており、鑑賞会事業がどれほどの比重になるのかは具体的にはわからなかったけれど、鑑賞会のほうが一般公演よりも多いらしいことを思うと——また、鑑賞会はおそらく常に一般公演よりも劇場が埋まっているだろうことを思うと——、ここに人件費がかけられているとみるのは、あながち間違いでもないように思う。あとは、当然ながら、海外団体の招聘のための費用だろう。静岡芸術劇場というハコをすでに持っているため、モノのために費やさなければならない金額はそれほど大きくないのだろう。

2000年代半ばに制作部は6人だったが、現在では20人近い大所帯であるという。それは、おそらく、鈴木忠志から宮城聰へと芸術監督がバトンタッチされ、いわば秘教的な団体から顕教的な団体へとシフトしたこととパラレルなのだと思う。宮城体制になって、劇団はオープンになっていったようだが、それはつまり、劇団と観客をつなぐ仕事の増加を意味したはずである。公演を広報するだけではなく、公演関連イベントを開催したり、公演の合間にアウトリーチをおこなったりというように、制作部の業務は複線化し、多様化してきているようである。だからこそ、マンパワーが必要なのだろう。

制作部の20代の若手が、TikTokなどのSNSをとおして、新規層を開拓しようと努力しているのはよくわかる。けれども、果たしてそれはどこまで実を結んでいるのだろうかとも思うところ。

劇術監督の宮城は、SPACのシーズンの演目を、演劇の古典の上演と特徴づけているようだが、それはつまり、SPACにはいわば相反する二つの傾向が同居しているということでもある。一方に、県民の演劇リテラシーを向上させるための啓蒙があり、他方には、演劇リテラシーどころか、そもそも演劇に興味を抱いていない中高生にアピールしなければならないというジレンマがある。その板挟みのなかで、制作部は、鑑賞事業のためのわかりやすいパンフレットを作成するなど、素晴らしい努力をしているのだとは思うけれど、それによってSPACの知名度が上がっているのかというと、どうなのだろう。

ちょっと面白いなと思ったのは、制作は、シーズンの演目決定において、芸術監督の意図を汲んで仕事をするとはいえ、そこには推測的な要素があるということ。芸術監督にしても、すべてを説明するわけではない。しかし、県や国にたいして自らの存在理由を正当化しなければならない制作部は、そこで、宮城の言葉をとっかかりにして、理論武装をすることを迫られているようでもある。芸術性を置き去りにすることはないとしても、芸術性だけでは官僚を説得させられないことを、制作部は身に染みてわかっている。

というわけで、制作部の顔見知りの方からは、「来る回、間違えてません?」と言われてしまったけれど、いろいろと得るところのある会でした。しかし、現代日本において公的に演劇をやることの難しさ——不可能性とすら言っていい——を痛感させられた会でもありました。