うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

踊るように弾き、弾くように踊る:Terje TønnesenとNorwegian Chamber Orchestraの楽しい音

室内オーケストラは中途半端な存在だ。フルオケの縮小版か、四重奏の拡大版か。全体はどう組織されるのか。指揮者のごとき1つの統合点を持つのか。各パートのリーダーをハブとする階層構造か。

Terje Tønnesenが芸術監督を務めた時期のNorwegian Chamber Orchestraはそのどれにも当てはまらない。Tønnesenはソリストのヴァイオリン奏者。芸術監督でコンサートマスター。演奏中、彼はオーケストラ全員の参照点ではあり、彼は指揮者的な役割を担っている。けれども、そのような上意下達のツリー構造を持ちながら、オーケストラのメンバーひとりひとりが全体と有機的につながってもいる。不思議な並列状態。

踊るように弾く。弾くことがそのまま踊りになる。クラシック音楽界で弦楽奏者が立って演奏するスタイルが一般的になったのは比較的最近のことだと思う。座ったほうが重心が下がって安定する部分はあるし、長時間の演奏の場合は疲労も軽減されるだろう。しかし、ヴァイオリンやヴィオラソリストで椅子に座って弾く人はほとんどいない。立っているほうが身体の可動域は広がる。体全体で楽器に向き合うことができる。

奏者たちの身体は上下に大きく伸縮し、大きく旋回する。あえてそうしているのではなく、音楽がそのような身体運動を誘発して、その誘いに奏者の身体が気持ちよさそうに応答している。

Tønnesenは魅せることにこだわっているらしい。チャイコフスキーの弦楽セレナーデの映像は、まるで映画のなかのワンシーンのような趣だ。演奏家を大写しにするのではなく、前景を含めて場の全体をカメラに収めるような感じになっているし、色調にしても、たんなる解像度の高さではなく、空気感といったニュアンスを捉えることを優先しているようだ。

もっとも興味深いのは、全員が暗譜で弾いている曲目があること。リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」シェーンベルクの「浄められた夜」ショスタコーヴィッチの「室内交響曲」。曲調に合わせて青いライトや赤いライトを使うという演出の要請上、暗譜にせざるをえなかったのだとは思う。強いられた暗譜であり、音楽上の必要性から暗譜にしたのではないと思う(事実、他のレパートリーではタブレットで楽譜を見ている)。しかし、暗譜の場合、演奏も奏者も、音は楽譜という2次元の制約から解き放たれ、出来事としての音楽のほうに向かうだろう。暗譜のさいの集中度と没入度は比類がない。

音楽的な対話がある。フレーズの受け渡しや掛け合いが、とても親密なのだ。しかし、それ以上に見事なのは、そうしたコミュニケーションが動的で可変的なところだ。誰かが不動の中心というわけではない。中心は、音楽の成り行きに合わせて、絶え間なく移ろう。中心が複数的なのだと言ってもいい。だから対話という「二」を想起させる言葉は的外れかもしれない。ここで起こっているのは、局所的な対話ではなく、全体的な議論なのだ。

それが可能なのは、奏者たちの奏法になにかしらの統一感があり、音の色みや重さが近いからかもしれない。あくまで見た目からの推測ではあるけれど、ヴァイオリンもヴィオラもチェロもコントラバスも、弓を持つ右手がやや開き気味で、弓圧は強すぎない感じではないだろうか(メンバーはかなり多国籍なので、なぜこのあたりがそんなに揃っているのか不思議な感じはする)。

中音域にしても低音域にしても、音が音程以上に軽やかで、旋律のラインがすっと浮かび上がる。だからこそ、パート間のフレーズのコミュニケーションが無理なく前面に出てくる。音楽のフレームはどっしりと安定しているのに、運動性が高い。

指揮者なしの室内オーケストラの例にもれず、解釈的な旨みという意味では分が悪いところもある。一聴してすぐわかるようなユニークはない。しかし、その代わりに、全編にわたる上質さがある。音楽という言葉のとおり、楽しい音がある。奏者たちが楽しんで演奏しているのが、互いに親密にコンタクトを取りながら演奏しているのが、目に見えるし、耳にも聞こえる。

変にめかし込んだところはないけれど、密度の濃い、透明なパッション。こういう音楽を日常のなかに持ちたいと思う。

強制的告白と消極的殺人者の後悔:濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

村上春樹の同名の短編を原案とする濱口隆介の『ドライブ・マイ・カー』は、生き残ってしまった遺族の後悔、相手を見殺しにしてしまった消極的殺人者の罪悪感を基調とする物語であり、妻を亡くした夫が、母を亡くした娘が、自動車という閉鎖空間のなかで、過去の物語を共有していく。

しかし、和解したい相手はすでにこの世にいない。だから、ふたりにできるのは、自分の心と折り合いをつけることでしかないのだけれど、それはひとりではなしえないことでもある。だからふたりは原罪の場までともに旅をし、互いの傷を分かち合い、ともにふたりの心の傷を抱きしめることになる。

告白はひとりではできない。というよりも、心の修復をもたらすような告白は、聞き手を必要とする、と言うべきだろうか。そしてそれは、いわば偶然の出来事でなければならないだろう。「する」ものというより、「してしまう」もの。「聞く」ものというより、「聞かされる」もの。そうしないわけにはいかないもの、けれども、なぜそうするのか当事者ですらよくわからないでいるもの。

観客たるわたしたちもそのような告白に立ち会うことになる。しかし、それは不意打ちであり、心地よいとはいえない強度を備えた情念に当てられる。わたしたちはいつのまにか、得体のしれない烈しさを受け止めるという仕事の只中にいることに気がつく。

濱口の映画において、わたしたちは、告白する側というよりも、告白される側に身を置くことになる。

受動的に、しかし、受動的だからこそ逃れられないかたちで。

 

濱口は村上春樹の物語の骨格を大筋では踏襲する。そろそろ50歳に手が届こうかという俳優夫妻は互いに愛し合い、とてもうまくやってきているはずだが、にもかかわらず、妻である音は若い男と数人と不貞関係を持ってきた。それが始まったのは家福夫妻が子どもを幼くして亡くしてからのことである。家福は妻の不貞を知りながら、彼女に問い質すことまではできない。そして妻が急死する。彼女の心の内の真相は謎のまま残される。

それを家福は、妻が最後に関係を持った若手俳優の高槻とのつきあいをとおして探り当てようとするが、妻を慕う俳優の告白は、謎を解明するどころか、むしろ深めるばかりである。家福に変わって稽古場と住まいの運転を受け持つドライバーは、音の行為——家福を深く愛しながら、不貞関係を持つ――は矛盾してはおらず、彼女はまさにそのような人ではなかっただろうか、という仮説を述べる。

円満でありながら亀裂が走っている夫婦関係と、ふたりが亡くした子ども。若手俳優という第三の当事者。ドライバーという部外者。家福が俳優であり、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を演じているという設定——これらは原作どおりである。

 

その一方で、濱口は、音のキャラクター設定を大きく変えている。子どもを亡くした後に俳優から脚本家になったと変更することで、彼女の存在感は大いにアップしている。マイナーだが見過ごせない変更もある。小説では生まれて3日で亡くなったとなっているが、映画では幼児になるまでは生きていたことになっている。子どもの死の残した影響は映画のほうが色濃く表れている。夫婦が娘の命日に寺を訪れるシーンがある。

ドライバーであるみさきの設定にも変更がある。北海道出身で、10代のころから運転していたというところは原作どおりだが、彼女の母の死因が違う。小説では、酔っ払い運転による事故死。映画では、地滑りによって家屋の下敷きになって死んでいる。みさきも母と同じように生き埋めになったけれど、彼女はどうにか生き延びた。そして彼女は、助けられたかもしれなかった母を助けようとはしなかった。何かできたはずなのに何もせずに見殺しにした。小説では、ドライバーは傍観者的なコメンテーターにとどまるようなところがあるが、映画では、傍観者から主要人物へと、家福と似たような心の傷を抱える精神的な同胞になっている。

若手俳優の高槻は、ファンと寝たというスキャンダルのせいでフリーになっているというあたりが原作とは違うし、そのような不祥事を経てなお、女性ととりあえず体を合わせてみることに意味はあると言ってはばからないところがあり、その点では、原作よりも軽薄なキャラクターになっているが、その一方で、演技にたいする思い入れは小説よりも深いようである。

 

最大の変更点は、物語が東京で完結しない点だ。原作では単なるディテールにすぎなかったチェーホフの『ワーニャ伯父さん』が、映画の半分以上を占めるほどにふくらまされている。人生を無駄にしたという後悔と、それにもかかわらず仕事を続けていく希望が重要主題をかたちづくっているこのチェーホフ劇は、『ドライブ・マイ・カー』自体にたいするコメンタリーになってもいる。村上春樹もおそらくそのあたりを念頭に置いて『ワーニャ伯父さん』をディテールとして使ったのだろうけれど、村上春樹があくまでほのめかすようにしか用いなかったものを、濱口は徹底的に開拓する。

家福が広島で開かれる演劇祭に招かれたという設定になっており、彼は韓国出身の演劇祭主催者でドラマトゥルクとともに、アジア各国からの応募者をオーディションし、稽古をつけていく。そのようなメンバーで構成されるチェーホフは、当然ながら、多言語の芝居になるのだけれど、ここではそこにさらに手話が加わる。もともとはダンサーだったが、子どもを流産してから踊れなくなった聴覚障碍者の韓国人であるイ・ユナが参加するからだ。

彼女はドラマトゥルクであるコン・ユンスのパートナーである。こうしてもうひとつのカップルが登場することになる。彼女たちもまた、子どもの死という傷を抱えているが、家福夫妻とは違うやり方で、それを受け入れ、先に進もうとしているようである。

濱口は村上春樹の物語を推し進めているといってもいい。小説では、音は子宮癌を患って亡くなったことになっているが、映画では、家福に何かを話そうとした日にくも膜下出血で意識をなくし、そのまま亡くなっている。そして、その日、家福はなかなか家に帰ることができず、大いに時間をつぶしてから帰宅し、リビングに倒れている彼女の姿を見つけたのだった。村上春樹の物語が、他者の心の測りがたさを前面に押し出しているとすると、濱口の映画はそこに、罪悪感という主題をプラスする。

ここでは誰もが深く傷ついている。しかし、誰もがその傷と深く向き合えているわけではない。誰もが傷と折り合いをつけられているわけではない。

 

濱口の映画では、家福夫妻と、韓国人夫妻とが、合わせ鏡のようになっている。音は子どもを亡くしてから俳優を止め、脚本家としてデビューする。手話で演技する元ダンサーは、流産してから踊れなくなっていた身体が、チェーホフのテクストをとおしてふたたび動き出す。彼女たちは表現行為を経由することで、先に進んでいく道を見出す。

しかし音のやり方は、性愛的なものと深く結びついている。性的オルガズムが断片的に物語の言葉を紡ぎ出す。それを家福が記憶し、翌日、音に物語を語り直す。そしてそれを、音が脚本に仕上げていく。ここではセックスが存在の深淵に触れる行為となり、ふたりの肉体的な交わりが、迂回的な言葉の回路を開く。というのも、音が言葉を語り出すとき、それは彼女を「とおして」物語が紡ぎ出されるからであり、それはいわば一方的な告白のようなものであり、家福はその場でその語りにたいする反応を彼女に返すことができないからである。それに、彼は聞くことを拒むこともできない。彼女の無意識的な欲望かもしれないものを受け取りながら、彼女の真実を聞きながら、彼はその内容を理解することはできない。

そこに家福夫妻の親しさと遠さがある。

 

『ドライブ・マイ・カー』は3時間におよぶ長編だが、それは必要な長さでもある。深い心の傷と向き合うのは、簡単なことではない。それは時間を必要とする作業なのだ。

物語内容が、尺の長さを要求している。

 

濱口にとって車という閉鎖空間は特権的なトポスである。というのも、車のなかで始まった告白は聞かされるしかないものだからだ。運転中の車のなかから出ていくことはできない。暴力的に止めさせることは可能だが、深刻なトーンで始まるわけではない告白、気がつけばいつのまにか深刻なものになっていた告白に途中で介入することはきわめて困難でもある。聞き手はすでに話し手の語りに強制的に引き込まれてしまっているからだ。

語り手にというよりも、語られる言葉それ自体に。

 

ここで中心となるのは言葉のほうなのだ。キャラクターがあって言葉があるというよりも、言葉があるからこそ、それに触発されて、キャラクターが立ち現れてくる。

それはいわば言葉に身を任せることであり、自己をテクストに引き渡すことであり、自らを表現媒体と化すことである。それこそが、『ワーニャ伯父さん』をただひたすら音読するという作業をとおして、家福が俳優たちに直感させようとするところである。

家福の方法論は濱口自身の方法論でもある。その意味で彼の映像は、完璧にコントロールされた、完全に反復可能なものではなく、ライブの一発取りのようなところがあるのかもしれない。

濱口の映画における対話シーンは、奇跡的に出現する一回的なものを記録しようという試みなのだろうか。

 

しかしもしそうだとすれば、撮影という観点からするとかなり厄介なことになるだろう。一回的なものを完璧にカメラに捉えることはできるのかという問題が出てくる。

そのせいなのかはわからないけれど、濱口の映像は、俳優の演技が中心となるシークエンスと、情景が中心となるシークエンスで、かなり異なった美学に基づいて作られているように感じる。

何度も撮り直すことが可能である情景は、アートフィルムよろしく、すこしざらついた感じのショットだ。ロードムービー的なところがある『ドライブ・マイ・カー』には車が道路を走るシーンがたくさんあるが、それらはたとえば斜め上から俯瞰的に安定的に捉えられたり、リアウインドウから覗いたようなブレのあるショットだったりと、バリエーション豊かである。

その一方で、対話シーンでは、古典的ハリウッド様式とでも言おうか、話している方が互い違いにクロースアップになる。ひじょうに安定したショットだ。

濱口はシークエンスの持続性や強度を高める手腕に秀でている。彼は基本的にシチュエーションを作る作家であり、詩的なフレーズで雰囲気を作る作家ではない。

散文的なやり方であるとも言えるし、演劇的な対話で映画を作っているとも言える。

 

下手に小細工をせず、言葉を話す俳優たちの力を信じればいい、言葉に触発されて動きだす俳優たちの身体をそのまま撮ればいい、ということなのかもしれない。

たしかに、演技のなかで起こるかもしれない「なにか」を捉えるには、このようにプレーンなフレームが有効なのかもしれない。しかし、性質の異なる映像が並列されるのは、個人的にやや違和感がある。

シークエンスのあいだでの時間の経過を示すために、「〇年後」のようなキャプションを出すのは、少々芸がないように感じる。濱口はシークエンスの内部を作りこむのは上手いが、それらを繋ぐということになると、妙に不器用な感じがする。それは、意図的に持ち込まれた断絶というよりも、たんなる不器用さのように見える。

また、新海誠のアニメーションでよくある音楽PV的なシークエンス、コラージュ的にショットをつなぐことで、時間の経過を圧縮して提示するやり方が、2、3回用いられていたのは、ふたりがともに村上春樹好みの物語を好むという意味で、興味深い類似点ではないかという気もするのだけれど、同時に、物語の時間を大きく動かしていくことがふたりともあまり得意ではないことを示しているようにも思う。

 

なるほど、濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』はきわめて「正しい」映画だ。家福は自らの弱さを認める。それを受け入れて、真実から目を背けてしまったことを、それが彼と音の関係を不自然なものにしてしまったことを、嘆く。彼女を責め、そして、なにより、彼女ときちんと向き合うことができなかった自分を責める。

家福の演出する『ワーニャ伯父さん』に参加するのはアジア圏の俳優であり、舞台は多言語になる。俳優たちは、言葉を耳で聞きながらそのひとつひとつの意味を理解することはできないが、セリフであるから、その全体の意味内容はわかっている。そのようなテレパシー的な対話——理解できない言葉の音の向こうにある意味は理解できる――のなか、俳優たちは、自身の肉体をとおして、自身のプレゼンスをとおして、言葉にならないものを、言葉の字義的な意味には回収も還元もされえないようなものを、交換していくのであり、だからこそ、ここでソーニャのセリフは韓国手話によって表出されることはなんの違和感もない行為になるのである。*1

 

すぐれた映像作品であることはまちがいない。

村上春樹を2歩も3歩も進めた物語であることもまちがいない。

しかし、濱口の作品は、村上春樹の物語にひそんでいたドメスティックなところを奇妙にも増幅している部分があるのではないか。

キャストはインターナショナルではある。

映画の舞台もインターナショナルだ。東京に始まり、広島で展開し、北海道まで旅をし、最後は韓国で終わる。

けれども、この物語を稼働させる核となるエネルギーはリビドー的なもの、男女のセックスであり、したがって、ここで描き出される人間関係は、まずなにより、夫婦である。

たしかに家福とみさきの関係、俳優とドライバーの関係は、最初から最後まで、男女関係とは別のラインに置かれている。ふたりのあいだに恋愛的なものは起こらない。しかしそれは、ふたりがいわば鏡像的な関係にあるからではないか。そして、みさきが捉われているのは、母との関係である。もちろんこれはセックスを介在した関係ではないが、依然として家庭的関係、血縁関係ではある。

その意味では、家福と高槻の関係、ふたりのホモソーシャルな関係が小説ほど深められていない、というか、小説以上にそこが深められていないのは、この映画の物語力学上、当然の成り行きではある。

 

この映画は村上春樹にある潜在的な(そしてときには顕在的でもある)ミソジニーを乗り越えているといえるのかどうか。

どうだろう。

個人的に気になったのは、映画の最後から2番目のシークエンスだ。高槻が起こした事件が原因で演劇祭の開催が危ぶまれ、演劇祭の主催者から最終的な決断——中止するのか、それとも、家福が高槻が演じるはずだったワーニャ伯父さんを受け持つのか――を迫られる。猶予期間は2日。家福は北海道まで運転してくれるようにみさきに頼む。ふたりは本州を北上し、フェリーに乗って、みさきの母が亡くなった場所までドライブする。

それは追悼のドライブである。

そこで家福はとうとう音にたいする思いのたけを吐き出す。

そしてみさきを抱きしめる。

ふたりの抱擁は同志的なものであって、男女的なものではないだろう。しかし、二人の身長差のせいもあって、家福(西島秀俊)がみさき(三浦透子)を抱きしめるかたちになってしまう。まるで、自らの哀しみや憤りと折り合いをつけるために家福が誰かを必要としており、そのためにみさきが使われているかのように。

彼女が彼のケアをすることを強いられているかのように、というと言い過ぎかもしれないが、ここでの抱擁が双方向的なものなのかどうか。すくなくとも映像的には、家福がメインになっているように見える。

 

村上春樹ミソジニーだと批判することはたやすい。しかし、それでも、村上春樹が大きな歴史的問題(大東亜戦争における日本軍の問題)や社会的問題(オウム真理教の問題)を自身の物語に取り込もうとしてきたことは、指摘しておくべきだろう。彼は、彼なりのやり方で、戦後日本の問題と向き合い、小説という手段をとおしてそのような問題と対峙し、物語というレベルにおいて何かしらの解決をもたらそうと試みてきた。

濱口竜介にそのような問題意識が欠落しているとは思わない。彼の映画が、MeTooのような近年の社会的動向を踏まえていること、日本という狭い枠ではなく、アジア圏という広い地平のなかで、現代の問題を捉え直そうとしていることに疑いはない。

しかし、映画『ドライブ・マイカー』が最終的にフォーカスするのは、社会的歴史的問題それ自体ではなく、そのようなものを内面化した感性の問題であり、その結果、社会的なメンタリティの問題であったものが、個人レベル、個人間のレベルで止まってしまっているような感じもする。

村上春樹はキャラクターたちに特異な名前を与える。それはキャラクターに寓意性を与えるためだろう。家福という苗字が、「禍福」とかけた名前でないはずはない。福と禍と家が、名前のレベルですでに暗示されている。だから村上春樹のキャラクターがどれだけユニークであれ、どれだけわたしたちと似ていない存在であれ、彼ら彼女らはわたしたちの象徴めいたところがあるように思う。

では、濱口の映画のキャラクターたちにそのような寓意性があるのかどうか。彼の物語は、「みんな」の物語であり、「わたしたち」の物語なのかどうか。

 

そうでなければならないわけではない。

しかし、濱口の物語が繊細になればなるほどに、わたしたちの心の脆さや弱さを抱きしめる物語が、告白という回路をとおして、聞かないわけにはいかないというシチュエーションを、物語内のキャラクターにも、わたしたち観客にも作り出していくほどに、物語それ自体は普遍的なアピールを喪失していくようにも思う。

濱口の映画になにかしらの普遍性があるとすれば、それは物語内容ではなく、物語内容がわたしたちのなかに生み出す手ざわりやざわめきのほうにあるはずである。

 

それはたしかに強いものではある。それを受け取ることができる者にとっては。それを受け止めることができる者にとっては。

しかしそうできない者にとって、濱口の映画はどのように映るのだろうか。

 

『ドライブ・マイ・カー』は観る者を強制的に引きずっていくようなところはある。しかし、告白を聞かされることを拒むことはできない物語内のキャラクターたちとはちがって、わたしたちはこの映画を観ることを止めることはできる。

そのような者たちを引き留める、いわば暴力的なまでの吸引力が、ここにあるのかどうか。

 

そのような力を映像作品は持たねばならないのかどうか。

 

さて、どうだろうか。

しかし、濱口の映画を生理的に拒んでしまう層こそ、彼の映画に感化されるべき層であるように思えてならない。男性的価値観に縛られている者たち、泣くことも嘆くこともできない男たちは、はたして、この物語を辛抱できるだろうか。

こう言ってみてもいい。濱口の映画を称賛する人々は、すでに、意識高い系のリベラルではないか。そのような層の感性を再肯定され、再強化されるだろう。しかしそれは、そうした層と、そうでない層とのあいだの、亀裂や断絶を深めるばかりではないか。

 

濱口の映画の善意に、現実世界の悪意を覆すことが、はたして出来るのだろうか。

*1:手話の入った多言語の舞台はさすがに見たことはないが、多言語の舞台も、手話を交えた舞台も、過去に見たことがある。その意味では、ここで濱口が映画に登場させている舞台は、現代の演劇シーンにおいて実践されていることであると言ってよいだろう。以前書いた劇評を参照のこと。

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忠実で正統で挑発的な伝統の王道:Voyager Quartetの超越的な穏健さ

弦楽四重奏はとても親密な交換なのであって、精密さを競うものではないということを、Voyager Quartetの演奏によってあらためて思い知らされている。

19世紀後半の量的にも質的にも肥大化するオーケストラは必然的に規律訓練を必要とするものになっていった。数の上では相変わらず四人のままであり続けた四重奏にしても、20世紀半ばのジュリアード四重奏団の登場とともに、メカニックな精緻化が押し進められた。技術的なヴィルトゥオーゾが当たり前になったいま、Voyager Quartetの演奏は少々緩いように聞こえる。

しかし、技術が足りないからそうなっているのではない。あえてそうしていないのだろう。技術的な卓越性にたいする軽蔑のようなものがここにはあるような気もする。デジタルに揃えるよりも大切なことがある、アナログなおおらかさでしか到達しえないものがある、と言わんばかりの何かが。

公式ホームページの英語ページにはきちんと記載されていないけれど、ドイツ語ページによれば、メンバーはそれなりに名のある四重奏団やオーケストラのメンバーだったという。

ヨーロッパの団体のくせになぜ英語名をカルテットの名称にしているのかと思えば、これは、1977年に打ち上げられたNASA無人宇宙探査機「ボイジャー」の「1号」と「2号」から取っているとのこと。それらに搭載されていた「ゴールデンレコード」の西洋クラシック音楽のレパートリーを引き受けることが、Voyager Quartetの自意識的な使命であるようだ。

再び公式ホームページ(ドイツ語)によれば、この四重奏団が仰ぐのは「イタリア四重奏団、アマデウス四重奏団、ボロディン四重奏団」なのだという。それはつまり、ジュリアード四重奏団によって駆逐されてしまった古き良き日の、イタリアとユダヤとロシアを含みこむ、ヨーロッパの伝統である。

これまでの録音レパートリーは、シューベルトの『冬の旅』、マーラーワーグナーの編曲になる。四重奏団のヴィオラ奏者による編曲だが、とりたててヴィオラが主というわけでもない。

誰かが突出するのではなく、四人がそれぞれにリードするかたちになっている。オーケストラの不可能な再現ではなく、弦楽四重奏の可能性の延長を目指すような編曲だ。弦楽器にはできないことを無理にやらせるのではなく、弦楽器にできること(しかし、通常の曲ではあえてやろうとはしないかもしれないボキャブラリー)を駆使するような、そのような編曲。

現代的すぎていない。オーケストラスコアや歌曲をたんに弦楽四重奏に移し替えただけではないけれど、ことさらに不協和音や不連続を導入してやろうというこれ見よがしなところがない。わかりやすくしようと媚びを売っているわけではないが、わかりにくくしようと虚勢を張っているわけでもない。

大人の演奏というのは、こういう演奏にこそふさわしい賛辞だ。ふくよかで、余裕がある。正確ではあるが、正確であることにこだわりすぎていない。抒情的ではあるが、感情に耽溺してはいない。技術はあるが、それをひけらかそうとはしない。伝統をリスペクトするが、それにがんじがらめにはなっていない。引き継ぐべきものを取捨選択し、そこに、自分たちが寄与すべきであると信じるものを足している。

伝統は、過去の忠実なコピーではありえない。変わりゆく現実と歩調を合わせて、自らも少しずつ変わっていく。それが、生きた伝統のあるべき姿だろう。Voyager Quartetが追求するのはまさにそのような柔軟に変化する忠実で正統な、だからこそ、穏健でありながら挑発的でもある、伝統の道である。

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問いかける存在として:レベッカ・ソルニット、東辻賢治郎訳『私のいない部屋』(左右社、2021)

自伝をいつ書くか、どう書くか。答えの出ない問題だ。人生の総決算として書くのか、これからのロードマップとして書くのか。編年体で客観的に綴るのか、連想で飛躍しつつ主観的に語るのか。

ここでソルニットは、その中間を行く。時系列を基調とするが、細かく日付を記していくわけではない。精神的な回想ではあるが、そこでコアになるのは彼女の肉体である。自分の居場所を社会のなかに見つけ出すことが、本書を貫くテーマである。

あなたには何があるのか? どこならば存在を許されて、歓迎されるのか? 自分にはどれくらいのスペースがあるのか? どこでは疎外されるのか? 街では、仕事では、会話ではどうか? 私たちの苦闘はすべて領土を守ったり勝ち取ったりする縄張り争いだと思えば、私たちの個々の違いは、それぞれがどれだけの空間、つまり語り、身を寄せ、歩き回り、生み出し、境界付け、勝ち取るものとしての空間をどれだけ許されているか、あるいは禁じられているかということになる。(92‐93頁)

しかし、これをパッシヴな自問として受け取らないように注意しなければならない。彼女のプロジェクトは、この世界のなかに女性のための避難所を見つけ出すことではない。そうではなく、社会のなかに自分の居場所を作り出すために世界に抵抗することである。それは、自分の存在を認めない世界を変えてこうとする革命的な試みである。

訳者の東辻賢治郎が原書タイトル Recollections of My Non-Eixstence——直訳すれば『わたしの非存在の回想』——を、おそらくヴァージニア・ウルフのA Room of One's Own*1を踏まえてのことだろう、『私のいない部屋』と意訳していたのは、巧みな選択だったと思う。

ここでソルニットが問題化しているのは、わたしはたしかにここにいる、肉体をもった存在としているにもかかわらず、搾取され蹂躙される女の肉体としてしか認識されないこと、全人格的なひとりの人間としてはカウントされないという精神的な透明人間状態を女性が強いられてきたという歴史社会的な状況であるからだ。わたしはいないが、部屋はある、部屋にわたしはいるにもかかわらず、いないことにされている――そのような不正にたいするプロテストである。

そのようなプロテストは、ひとつひとつ個別の事例を取り上げてみれば、ローカルで小さな試みかもしれない。しかしそれが本当にラディカルに、すべての女性によって実践されたとしたら、世界はどう変わるだろうかとソルニットは問いかける。

この世界の半分には、女たちの恐怖と痛みが敷き詰められている。あるいはむしろ、それを否定する言葉で糊塗されている。そして、その下に眠っている幾多の物語が陽の目を見る日がくるまで変わることはない。私たちは、そんな風にありきたりで、どこにでもあるダメージの存在しない世界を想像できなくなっている。ひょっとすると、そんなダメージがなければ世界はびっくりするほど明るくなるのではないか。今はほとんど経験できない、自信をもつことの喜びがずっとあたりまえになるのではないか。人類の半数から多くのことを遠ざけ、あるいは触れさせもしなかった重荷を取り去ってくれるのではないか。そう言いたいがために私はこんなことを書いている。(81‐82頁)

彼女は書くことで、自身の同じような体験をしてきた/している女性たちと連帯しようとするが、それは同時に、そのような非存在を彼女たちに強いる世界の構造に抗うすべての人々と連帯しようという試みでもあるのではないか。そこに、彼女の本が狭義のフェミニズムを越えて拡がっていく力が宿っている。

彼女は自身の体験を語りはするけれど、それは自らをロールモデルに仕立て上げるためではなく、答えを示すためではなく、問いを打ち立てるためだ。「もしかしたら私はずっと、答えではなく問いの中で生きてゆくのかも知れない」(92頁)と書きつけるとき、それは完全に肯定的な言明ではないのかもしれない。しかしこの悩みを抱えつつも、問いを共にして共に歩んでいこうとするところに、ソルニットの本の勇敢さがある。だからこそ、彼女の本は、読む人に希望する勇気を与えるのだ。

*1:邦訳は『私だけの部屋』、『私ひとりの部屋』『自分だけの部屋』、『自分ひとりの部屋』とあり、oneを「私」とするか「自分」とするか、ownを「だけ」とするか「ひとり」とするかで、意見が分かれている。

強いられたものではあるけれど、不快というわけではない親密さ:ウィム・ウェンダース・レトロスペクティブ

@シネ・ギャラリー

ウィム・ウェンダース・レトロスペクティブで6作品をまとめてみた。『都会のアリス』(1974)、『まわり道』(1975)、『さすらい』(1976)、『アメリカの友人』(1977)、『パリ、テキサス』(1984)、『ベルリン・天使の詩』(1987)。

ウェンダースは距離を撮る映画監督なのだと思う。物理的な距離というよりも、心理的に親密な距離。

しかしその親密さは、往々にして、強いられたものだ。善意や好意で織りなされるものではない。偶然から、悪意から、一緒の時間を過ごさなければならない状況に陥ってしまった人々が築いていく関係。そのような関係が作り出す微妙な「空気」を映し撮ることを、ウェンダースは試みているように感じた。

そこで言葉は二次的なものになる。ウェンダースの映画では無言の時間が長い。登場人物が寡黙だからというのではなく、言葉以外のやり方でつながろうとするからだ。こう言ってみてもいい。言葉は交わされるけれども、言葉の意味はそれほど重要ではない。言葉が交わされたこと、なにかがやりとりされたということが、なによりも重要なのだ。そのような交換行為が関係を作り出し、一緒にいることがなぜか当然のことになり、精神的な親密さを生み出していく。

心地よい関係とは言いがたい部分がある。『都会のアリス』は、ひょんなことからおしつけられた少女を連れて彼女の祖母のいる街を探すジャーナリスト作家の青年の話。『まわり道』は、作家志望の青年が旅芸人の老人と少女と列車の中で出会い、恋人とボンの街を歩き、ホテルで青年の詩を耳にして感銘を受けて後をつけてきた太っちょという5人からなる不思議な道連れの話。『さすらい』は、妻と離婚して湖に車で突っ込んだ男を連れて街を経めぐる根無し草の映画技師の話。『アメリカの友人』は、何気なくののしった贋作斡旋業者にひっかけられて殺人稼業に巻き込まれていく難病もちの額縁職人の話。『パリ、テキサス』は、4年のあいだ行方不明になった兄を迎えに行く弟の家で育てられていた兄の息子と、兄が、きずなを取り戻し、失踪した妻を探す話。『ベルリン・天使の詩』は、人間の目に見えない天使たちが人間の生活を見つめ、ついには堕天して、見染めた人間の女性を探し出す話。

ウェンダースの映画はヌーボー・ロマンがやろうとしたことを、小説がやったのよりずっとうまく実践しているのではないか。書かれたテクストは、「何も起こらない」状況を描き出すために、たくさんの言葉を用いなければならない。そして、何も起こっていないことの描写は往々にして冗長で退屈である。たとえば、「Aは立ち上がったかと思うとすぐさま座り、また立ち上がって周りを見回し、もういちど座ると、今度はまったく身動きせず、数分のあいだそのまま身じろぎもしなかったが、突如としてビクりと身を震わせて急に立ち上がった」というように。書かれたテクストでは、何も起こっていないときでも、何かが起こっているときでも、描写の量や質はそこまで変わらないだろう。それどころか、何も起こっていないときのほうが言語が過剰になり、瑣末な細部が執拗に記述されることになるのではないか。そして、そのようなテクストを読むのはなかなかしんどい作業になるはずだ。

しかし、映像になると、それがなぜか成立してしまう。特別なことが起こっているわけではない、何かの言葉が交わされているのでもないなにげないシーンでも、しかるべきアングルとフレームがあれば、しかるべき音楽があれば、間が持ってしまう。映像として成立してしまう。それを成り立たせるのは映画監督の直感的なセンスであり、方法論化しづらい唯一的なフィーリングなのだろう。ウェンダースが作家主義に数えられる監督であるのはわかる気がするし、彼が小津安二郎を尊敬しているのもよくわかる気がする。

ウェンダースが白黒フィルムにこだわるのは審美的な趣味の問題では説明しきれないと思う。純粋な情報「量」で考えた場合、カラーのほうがモノクロより多いのかどうかはわからないが――そもそも視界的なものを「量」で計測できるのかという問題もあるが――色がないほうが、画面にたいする集中度は高まるのかもしれない。白黒のほうが情報の「質」が高まるというわけでもないだろうけれど、わたしたちの受け取り方には影響がある。モノクロのほうが、細部の色彩ではなく、全体の構図や空気にわたしたちの意識が自然と引き寄せられる。

面白いことに、ウェンダースの映画では、モノクロのほうがアクチュアルで、カラーのほうがノスタルジーにつながるような感じがする。たしかに白黒映像は、いまそこにあるはずの現実を、どこか遠い過去に移し替えるような効果も持つけれど、ウェンダースの場合、白黒映像は、時間的に隔たらせるためではなく、被写体とわたしたちのあいだに空間的な距離を取るために用いられているのかもしれない。わたしたちをキャラクターたちのあいだの親密さに近づけつつも、キャラクターそれ自体への感情移入には向かわせないようにするための手段なのかもしれない。

ウェンダースの映画ではカラーのほうが特殊な手段といっていいのだろう。『アメリカの友人』では映像の色調で映画全体のトーンを作り出すためにカラーが用いられているように感じた。同じことは『まわり道』についても当てはまる。『ベルリン・天使の詩』のカラーとモノクロの使い分けはきわめてシステマティックで――天使の視点はモノクロ、人間の視点はカラー――あざとい感じがする*1

けれども、ウェンダースが観客のことを勇敢にも無視しているとは思わない。見やすく分かりやすくしようという配慮は感じられないが、見づらくていい分かりにくくていいという独善的な傲慢さも感じない。彼の映画が短めのシークエンスのまとまりで出来ているところから、とくにそのように思う。おそらく、明確な出来事が起こらない映像を見続ける生理的な限界がどのくらいになるかを、ウェンダースはある程度まで計算しているのではないか。ある程度のところで暗転し、場面が切り替わる。そこで観客は一息つける。その塩梅が巧み。しかし、その塩梅にしても、反復可能なマニュアル的なものではなく、作家のセンスにまかされているように思う。そこにウェンダースのユニークな面白さがある。

シークエンス自体は反復的ではないし、プロットにしてもクリシェ的なものではない。しかし、音楽の使い方は、おそらく意図的に、反復的なところがある。ワーグナーのライトモチーフ的な使い方と言ってもいい。まったく同一ではないにしても、似たような音楽が繰り返されることで、観客はプロットの見取り図を聴覚的に把握できるようになる。このあたりのさりげない気づかいが心憎い。

クリシェ的なところを意図的に流用している部分もある。『まわり道』や『アメリカの友人』では、タイトルがちょっとおどろおどろしい感じの赤字で表示され、映画が始まる前からわたしたちはこれがホラーチックなものになることに気づかされる。『アメリカの友人』は全編にわたって暗く緑色がかった色彩のせいで、ますますそのような予感がする。しかしこのようなあざとさはあくまでひかえめで、そのあたりに、ウェンダースの趣味の良さを感じる。

ウェンダースは俯瞰的な映像が好きなのかという気がする。『まわり道』は街を空から捉えて、だんだんズームしていく。『都会のアリス』は、それとは反対に、列車の窓からだんだんズームアウトして、最後には列車が空から鳥観図的に捉えられる。『ベルリン・天使の詩』には高所を見上げるようなショットが多数あったと思うし、『パリ、テキサス』では空港を眺めるシーンで遠くを見下ろすようなショットがあった。キャラクターの上半身を映すのが基本ではあるけれど、要所要所で引きの図が入る。これもまた、キャラクターへの過剰な感情移入を中和するための手段なのかもしれない。

 

ウェンダースの映画を観たことが、現在進行形で、自分の生の在り方に大きな影響を与えているような気がしてならない。世界の見方、世界との関係の切り結び方が、ドラスティックに変化しつつあるのを感じる。

認識が細やかになり、鑑賞がスローになり、物事に深く長く丁寧に潜っていくようになってきている。世界にたいする寛容度が高まり、世界をあるがままに、おおらかに受け入れるようになってきている。

世界をありのままに肯定するというのではない。ウェンダースが描き出すのは、すこしずつ歯車が狂っていく物語だ。それを観ることをとおしてわたしたちは、わたしたちの自明性を疑い出す。彼の映画は、わたしたちを、思想のレベルではなく、感性や情感のレベルで、組み替えていく。

心がすこしずつ、しかし、とてもとてもラディカルに、ゆっくりと、作り変えられていく。スローに変容していく自分がなぜか愉しくてしかたない。

*1:最後のバーのシーンの映像美――ふたりの顔が織りなす影絵――は圧倒的なものがある。前にいるマリオンの横顔の影が後ろにいるダミエルの顔を暗く隠すという構図。けれども、ふたりの詩的対話は、ドイツ語の抒情詩のレパートリーである神秘性とでもいおうか、「よくわからないけどなにかすごく深いこと言っているはず」という感じで押し切ってしまっているような感じはする。ハントケの「詩」は素晴らしいものなのだとは思うけれど、やはり過剰ではある。最後のシーンがポエトリーリーディングのようなものになってしまい、言葉ではなく存在感で魅せるウェンダースの映像美学とフィットしてないように感じる。ほかのウェンダースの作品と比べると、あそこのマリオンの言葉の「意味」が前面に出すぎて、映像それ自体にたいする集中度が相対的に下がってしまう。あそこはもっとアンビエンスな感じの、あえて輪郭をぼやかした曖昧な言葉でいいはずのところだと思う。

「いつでも夢をみよう。」(ゾラからセザンヌへの手紙)

「しかし、僕に希望がないなんてことがあるだろうか。僕らはまだ若く、夢に溢れ、人生はやっと始まったばかりではないか。思い出や後悔は老人にまかせよう。それらは彼らの宝物で、震える手でページをめくり、めくる度にほろりとする、過去という書物だ。僕らは現在を楽しめないのだから、未来こそ僕らのものだよ。僕らが最も豊かな色彩で染めることができるのは、あの美しく、出会ったことのない未来だ。期待しよう、友よ、いつかまた一緒になって、神聖なる自由を享受し、笑いながら僕らの足が墓石にぶつかるまで歩くことを期待しようではないか。」(ゾラからセザンヌへの手紙、18600613『セザンヌ=ゾラ往復書簡 1858‐1887』192頁)

 

「いつでも夢をみよう。夢を見たって誰も苦しめないし、慰めになるからね。」(ゾラからセザンヌへの手紙、18600801『セザンヌ=ゾラ往復書簡 1858‐1887』214頁)

ダメージの存在しない世界を想像しなければならない(ソルニット『私のいない部屋』)

「この世界の半分には、女たちの恐怖と痛みが敷き詰められている。あるいはむしろ、それを否定する言葉で糊塗されている。そして、その下に眠っている幾多の物語が陽の目を見る日がくるまで変わることはない。私たちは、そんな風にありきたりで、どこにでもあるダメージの存在しない世界を想像できなくなっている。ひょっとすると、そんなダメージがなければ世界はびっくりするほど明るくなるのではないか。今はほとんど経験できない、自信をもつことの喜びがずっとあたりまえになるのではないか。人類の半数から多くのことを遠ざけ、あるいは触れさせもしなかった重荷を取り去ってくれるのではないか。そう言いたいがために私はこんなことを書いている。」(ソルニット『私のいない部屋』81‐82頁)