うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20260107「第2054回 定期公演 Aプログラム」@NHKホールを聴く。

トゥガン・ソヒエフはきわめて充実した音楽を作り出す指揮者だ。奇をてらったところのない正攻法。解釈的な面白さではなく、音楽の熱量で勝負するタイプであり、オーケストラのポテンシャルを引き出すことに長けている。

アンダンテ・モデラートとスケルツォの順番が問題になるマーラーの6番だが、ソヒエフはアンダンテ・モデラートを2楽章、スケルツォを3楽章としている(プログラムノーツによれば、最新の国際マーラー教会の校訂意見がそうなっているとのこと)。しかし、古典的なスケルツォ-トリオ構造を字義どおりに受け取り、折り目正しく三拍子を刻むソヒエフの音楽作りからすれば、古典的な交響曲のフォーマットに沿うこの順番のほうが妥当であるように感じた。

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ソヒエフは音楽のテンションを維持できる指揮者だ。譜面の音符の粗密、テンポの緩急、響きの色彩がどのように変化しようと、彼のなかにある音楽の密度は一定であり、その流れが途切れることはない。

そのような音楽感覚をオーケストラに感染させる。だから、木管から金管、低音から高音のように、音域や音色の違う旋律の受け渡しでも、フレーズが確実につながっていく。ソヒエフの音楽の充実度は、副旋律やリズム動機を主旋律と拮抗させるぐらいに押し出すだけではなく、フレーズの非旋律的な部分も含めて、音符の連なりを最初から最後まで丁寧に演奏させていることで成立しているのではないかと思う。それぐらいここでは一音一音が等しく大事にされている。

ソヒエフは縦線を揃わせすぎない。彼が目指しているのは、シャープさというよりも厚みであり、ずっしりとした手ざわりなのだろう。指揮棒を持たない、先入的な振り方。出る音というよりも、音を出す奏者の身体の呼吸を合わせるような、おおらかな所作。その一方で、パートにたいするキューは几帳面すぎるほどに、細かく正確。全体として、円運動を基調とした腕の動きは、オーケストラを管理して縛るのではなく、煽り立てながらコントロールする性質のものだ。オーケストラが乗せられて、気持ちよく全力で演奏しているのが見て取れる。

 

しかし、裏を返せば、ソヒエフの音楽作りから、独自の特異な音楽観は見えてこない。作曲家に奉仕していると肯定的に捉えることもできるが、マーラーのように多面的な音楽——19世紀後期ロマン派の極点でもあれば、20世紀現代音楽の嚆矢――の場合はとりわけ。

すべてのパートがバランスよく鳴っており、内声部が力強い。低音がクリア。打楽器のインパクトは過不足なく、ハープやチェレスタも埋没しない。すべてが当たり前に聞こえてしまう。ここでは、マーラーが古典的な交響曲になっている。そしてそれが、ソヒエフ自身の音楽観の現われのようには思われない。

 

とはいえ、ここまでオーケストラを鳴らす手腕は見事としか言いようがない。その意味で、ソヒエフはマリス・ヤンソンスキリル・ペトレンコに連なる音楽家だと言ってよいだろう。録音で聞いてもこの熱量は感じられるだろうけれど、ライブを体験してこそ、これが単なる爆演ではない、きわめて真摯な音楽なのだということを理解できるように思う。

 

N響を生で聴くのは20年ぶり。NHKホールに行くのも同じぐらい久しぶり。ホールの音響に期待せず、一番安い席を取ったけれど、思ったよりいい音だった。ただ、「3階席」に行くのに、実質的には「5階」まで上がらなければいけないというのは、何ともわかりづらい。実質的には地下1階のように感じられる1階奥のフードスペースで決済にPayPayが使えるのは、クラシックのコンサートホールとしては異例だろう(サントリーホールでさえ現金のみ)。

N響はやはり日本のトップ・オーケストラだ。技術的な意味では間違いなく。また、N響が「放送局のオーケストラ」であることも再確認した。良くも悪くも無色透明で優等生的。

 

無料パンフレットの内容が非常にすばらしい。N響100周年記念なのだと思うが、リレー連載の一回目として、井上登喜子によるN響のレパートリーや出演した指揮者についての統計分析が載っているけれど、これを読むためだけにこのパンフレットを入手する価値があるぐらい。1946年から2014年にかけてのN響ベルリンフィル、ニューヨークフィルの定期公演で演奏された作曲家のランキングによれば、ベートーヴェンモーツァルトブラームスがトップ3で、その次がリヒャルト・シュトラウスというのはちょっと意外。チャイコフスキーハイドンと来て、ストラヴィンスキーというのは、なるほどと思うが、その次がラヴェルというのはちょっと意外。