カール・シューリヒトの自由闊達な、天衣無縫な指揮は、はたして、どの程度まで彼独自のシンギュラーなスタイルだったのだろうかと考えてしまう。
60年代のコンサートホールに残した一連の録音は、オーケストラの非力さにもかかわらず、そのきらめくのような解釈によっていまだに録音史のなかで特異な地位を占めているように思われる。50年代のパリ音楽院管弦楽団のベートーヴェン全集にしても、60年代のウィーンフィルとのブルックナーの8番や9番にしても、端正な古典的たたずまいと生き生きとしたひらめきとの奇跡的な同居のおかげで、時代的な記録というよりも、時代を超越した結晶のように聞こえる。きわめつけは、39年、メンゲルベルクの代役で振ったユダヤ人作曲家マーラーの『大地の歌』。最終楽章で "Deutcheland über alles, Herr Schuricht!" と女声のヤジが入るいわくつきの演奏で、ナチによる文化的弾圧がみなぎる会場の空気が聞こえてくるほどだというのに、シューリヒトの音楽自体は、驚くほどモダンでクールで、下手をすると、マーラー・ルネサンスの起こった60年代の演奏よりも現代的である。
特異な解釈する指揮者である。にもかかわらず、この特異なまでのアクチュアリティが、シューリヒト自身の特性にのみ帰されるべきものだったのかという疑問はある。
1880年生まれのシューリヒトは、世代的には、トーマス・ビーチャム(1879年生まれ)、デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(1880年生まれ)、エルネスト・アンセルメ(1883年生まれ)、オットー・クレンペラー(1885年生まれ)、フルトヴェングラー(1886年生まれ)、クナッパーツブッシュ(1888年生まれ)、フリッツ・ライナー(1888年生まれ)に近い。作曲家で言えば、ジョルジュ・エネスク(1881年生まれ)、イーゴリ・ストラヴィンスキ(1882年生まれ)が同世代。ポーランドのダンツィヒに、オルガン奏者の父と、オラトリオ歌手の母のもとに生まれる(父は、彼が生まれるまえ、海に転落した雇い人を助けようとして、自ら命を落としていた)。
晩年はもっぱらコンサート指揮者であったけれど、キャリアの最初期は当時の伝統的な筋道であった歌劇場のコレペティトールを経験している。地方オケで名を成し、国際的なマーケットに躍り出ている。晩年に録音したレパートリーは、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーといったドイツ本流が中心だけれど、同時代音楽にたいして消極的ということはなかったようである。YouTubeにも、ストラヴィンスキの『火の鳥組曲』を振っている映像がある。作曲をフンパーディンクに学んでもいた。
ドイツの指揮者は例外なくナチ政権下で難しい選択を強いられている。シューリヒトは1944年に強制収容所送りになったが、辛くもそれを逃れてスイスに亡命する。ただ、それまで彼がドイツ国内で活動できたことを、親ナチ的とみるのかどうかは、難しいラインであるらしい。
シューリヒトはもしかすると、初期ロマン派に端を発する系譜を体現していた末裔のひとりだったのかもしれない。今回、あらためて彼の録音を聞き直して感銘を受けたのは、シューベルトとシューマンだった。各楽器の旋律線を、楽器それ自体の音色や音高とは無関係に、フーガ的かつカノン的に浮かび上がらせて水平的に対話させるシューリヒトの音楽づくりは、音高のヒエラルキーにもとづくウィーン古典派的なものでも、肥大的なカオスにのみこまれる後期ロマン派的なものでもなく、その中間的なフェーズ、複雑化する自律性が自己崩壊する直前にある、初期ロマン派的な特異な形式性の表出ではなかったのかという気がしてきた。
その範例ともいえるのが、マーラーの録音である。バーンスタインのような濁った濃厚さ、ブーレーズのような澄み切った透明さを知っている耳には、シューリヒトのマーラーはあまりも普通に聞こえてしまう。それはシューリヒトの振るリヒャルト・シュトラウスにも等しく当てはまる。『エレクトラ』の音楽がメンデルスゾーンのように響くことを望んだ作曲家の言葉が、けっして突拍子もないものではなかったことが思い出される。それほどまでに、シューリヒトのマーラーやシュトラウスは、「こなれて」聞こえる。
シューリヒトの音楽はつねに生き生きとしているけれど、シューマンを振るときは、とくにどうしようもなく生命力が溢れ出している。マーラーがシューマンの交響曲を編曲していたこと、作曲家兼指揮者としての二足の草鞋の多忙な日々のなかであえて編曲のために自らの有限な時間を割いていたことが、思い出される。シューリヒトにとって、マーラーの音楽は、シューマンに連なるものなのかもしれない。後期ロマン派から捉え返された初期ロマン派を、20世紀前半のモダニズムの時代に再創造するという試み。
だからもしかすると、シューリヒトの音楽は、すべて、シューベルトやメンデルスゾーンのように響くと言ってみることもできるのではないか。もしかすると、シューリヒトの架空的直系といえるのは、カイルベルトではなかったという気がしてくる。
そう思って聞くと、なぜ彼のブルックナーがあそこまで軽やかに動くのか、なぜあそこまで旋律同士がくっきりっと浮かび上がって対話を繰り広げていくのか(その背後ではさまざまな騒音が鳴り響いているのにもかかわらず)が、ひどく腑に落ちるような気がする。
シューリヒトの音楽には、突き詰めて言えば、響きはない。縦線のシンクロも、音響としてのハーモニーも、あえて求められていない。シューリヒトの音楽には、ひたすら、とどまることを知らない生命の推進力がある。ただ愚直にストレートに進むだけではなく、さまざまに姿を変えて突き進む柔軟な力がある。複数の線が、それぞれに独自の生命力を帯びて、絡み合う。そのようなミクロな揺らぎを殺すことなく、指揮者がマクロなところで全体を率いていく。解放しつつ統治する。導きながら解き放つ。
もしシューリヒトの音楽に特異性があるとしたら、きっとそれは、そのような原理的不可能性——全体の統治と個々の解放——をなぜか実現してしまっているところにある。だからこそ、彼の音楽は、いまだに超時代的に、いまだ来たらぬ(しかしすでにいちどはかなえられた)未来の音楽のように響くのではないだろうか。