うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230216 谷本真由美『世界のニュースを日本人は何も知らない』123を読む。

1周回った「日本すごい」本とでも言おうか。谷本が念頭に置いている批判対象は、書名にあるとおり、世界のニュースを何も知らない日本人一般ではあるけれど、より具体的に言えば、左翼系のリベラルなメディアではないか。「欧米」という雑なくくりで、欧米の良いところを過剰に取り上げ、そうすることで、日本をこき下ろすという手段である。しかし、谷本は返す刀で、単なる自画自賛的な「日本すごい」をやる大手メディアもこき下ろす。

谷本の「日本すごい」は消極的で間接的なものではある。端的に言えば、彼女が繰り返し述べるのは、「日本すごい」ではなく、「海外は日本よりずっとひどい、それに比べれば日本はずっとまし」という相対論である。公衆衛生、経済格差、教育格差、国民性、技術や文化コンテンツなどにおいて、日本は決して劣っているわけではなく、むしろ、世界と比べた場合、ずっと優れているところがある。それが「元国連職員」で、日本、イギリス、アメリカ、イタリアなどで長年暮らした彼女の肌感覚である。

谷本にはどこか、ニュースを「ネタ」として愉しむ傾向があるが、それは若いころのバックパッカー経験、さらに言えば、彼女が子どもの頃にあった雑誌『宝島』のVOWというコーナーにたどりつくとのこと(3巻の「はじめに」で自らそう述べている)。「つまりこの「世界のニュースを日本人は何も知らない」シリーズは、あくまで私の趣味の延長で書かれたものです。日本で報道されない海外の“おもしろ情報”はもとより、ときには知らないと人生に多大な影響を及ぼすような情報・ニュースを集めてみなさんにお届けすることで、話題のタネになればいいという目的で記しています。」(5頁)。

だからこのシリーズは、啓蒙的であるとともに、エンタメ的なのだ。他国のいかがわしいところ、うさんくさいところ、麗しからぬところを茶化すように記述する一方で、それを自分ひとりの体験であるとか、自分の周囲の人間からのまた聞きだけではなく、信頼のおけるメディア報道や学術記事によって裏付けようとする。「収集しているデータはどれも嘘やあいまいな情報ではありません。きちんと裏付けがあったり、実体験であったり、取材をしているという点で“まじめ”なのです。」(5-6頁)。ご丁寧に、巻末には、どのような海外メディアが信頼できるのかを紹介し、URLまで貼っている。その意味で、彼女が読者に進めているのは、彼女が提供するこれらのネタをネタとして消費することというよりも、読者自身がこのようなネタを発掘して自ら愉しめるようになることだと言っていいかもしれない。

ただ、ここでどこまでが「実体験」であり、どこまでが「取材」されたものなのか、という疑問はある。「元国連職員」というよくわからない肩書を彼女が大っぴらにふりかざすわけではないけれど、海外在住者としてのオーセンティックさを盾にして、「わたしは海外で暮らし、現地のことをよく知っている」というニュアンスで語るのは、やはりどこかうさんくさいところもあるし、彼女の人間や社会の描き方は、基本的に、性悪説的、諷刺的なリアリズム——人間は愚かで怠け者でどうしようもない存在である、だからこそ、いとおしいのだ——にもとづいているがゆえに、「現実は所詮この程度のものである」という醒めたシニシズムに陥っているように感じる。

というわけで、手放しで称賛する気はないし、他国の腹の内をぶちまけるような記述の悪趣味さは個人的に決して好きにはなれないけれど、彼女が述べていることはおおむね正しいのだと思う。もちろん、彼女の言っていることを裏付けにして、「日本すごい」と言うのは本末転倒ではあるけれど、「海外」の成功例と日本の失敗例とを比較して「日本下げ」を行う者たちにたいする有力な武器を彼女が提供してくれていることは間違いない。

信頼のおけるメディアや学術機関の情報を積極的に収集し、選別していく彼女の「まじめ」な態度は大いに称賛されるべきものである。