うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230307 ピーター・N・スターンズ『人権の世界史』を読む。

流し読みで通読した、というか、パラパラとページをめくりながら、ちょこちょこ拾い読みした。だからとても内容を正しく理解しているとは思わない。けれど、人権をグローバルな規模で、世界史的な展望において捉えなおすとどう見えてくるのかという問題についていろいろと考えさせられた。思いついたことをいくつか書き留めておく。

 

「人権 Human rights」という言葉が発明され、制度として明文化され、概念として積極的に拡散されたのは、西欧近代における出来事だったかもしれないが、「人権」それ自体は、ある時代やある地域に特有のものではなく、むしろ普遍的なものだったのかもしれない。古代社会にも、基本的な権利のようなものは、部分的には存在していたようである。

 

「人権」は、定義からして、普遍的なものである。「人権」がほかの権利と違うのは、それが、意志的な努力によって獲得するものでもなければ、誰かから賦与されるものでもない。わたしたちは、「人間 Human」であるから、ただそれだけで、人権を持っている。人権は、わたしたちとともに、つねにすでに「ある」ものなのだ。人権は普遍的原理である。

 

だからこそ、「人権」が制度や概念として確立され、確立された時代や場所を越えて広がるには、何かしらの普遍的原理が必要になる。というよりも、「生まれながらにして持ち合わせている人権」単体では、独り立ちできないのかもしれない。サポートが必要なのだ。

 

前近代における人権は、こういってよければ、普遍的原理が、恣意的なものや慣習的なものによって保障されていた。たとえば共同体であり、たとえば統治者である。だから、共同体や統治者がそう決定すれば、人権は剝奪されるだろう。その意味で、前近代の人権は「授けられる」ものであり、「奪われうる」ものである。

 

しかしながら、人権とは、生まれながらにすでにつねに授けられているもの(現在)であり、どうあっても奪うことができないもの(未来)でなければならない。

 

前近代における普遍的原理として、宗教を上げることができる。たしかに宗教はある特定のコミュニティにおいて生起するものかもしれない。しかし、そのなかには、起源に備わっている限定性を超越し、普遍的な原理へと自らを昇華させる。ユダヤ教ユダヤ人であることと切り離せないが、キリスト教はそうではない。中沢真一は、日本古典文学全集の付録冊子かどこで、日本にとって仏教の伝来は普遍的原理の到来であったのだと書いていたけれど、仏教もまた、インドという起源の地を越えて広がっていた。イスラム教もそうだ。

 

しかしながら、そのような普遍原理はつねに限定付きのものであったことを忘れるわけにはいかない。キリスト教徒は人間として扱われるが、異教徒はそうではない。このあたりについては、宗教によって扱いは異なるのだと思う。イスラム教はわりと寛容で、税さえ払えば異教徒であることを許されていたように思うが、キリスト教は異分子の殲滅を志向しがちだったのではないか。イスラム教にたいする十字軍にしても、ヨーロッパ内部での宗教戦争にしても。それで言うと、日本における宗教の在り方は、キリスト教の部類に近いのかもしれない。すくなくとも、宗教と世俗の対立——織田信長浄土真宗の対立、徳川幕府キリスト教の排除——は、融和的ではない。

 

限定的な普遍原理は互いに競合することがある。しかし、世俗的権威と宗教的権威が結託することもある。宗教分離がなされていないところでは、とくにそうだ。たとえば前近代のヨーロッパにおけるキリスト教、太平洋戦争で敗戦するまでの日本における天皇制である。

 

自然法は、宗教的原理とはまた別の、普遍原理である。

 

資本主義は、宗教とも自然法とも違う、世俗的で現実的な普遍原理だろう。宗教も自然法も、自身の普遍原理を受け入れることを相手に強要するところがある。しかし、資本主義は、相手を引き入れるものではないか。もちろんそこに強制がないとは言わない。しかし、資本主義はそれ自体がゲームであると同時に、ゲームのフィールドである。資本主義に参入することは、つねにすでに、資本主義的な普遍原理——生まれでも育ちでもなく資本の有無がモノを言う世界、誰もが自らを労働力という普遍通貨に両替できる世界———に組み込まれることである。

 

西洋近代における「人権」の誕生が世界史上の特筆すべき出来事であったは、それが、真の意味での普遍性(完全に無条件の人権)の「可能性」を秘めていたからかもしれない。そこではじめて、すくなくともテクストの上では、すくなくとも名目の上では、「すべて」の人間が人権を享受することが謳われたのかもしれない。

 

しかし、近代的な普遍原理が一時的に停止する領域はあった。たとえば戦場である。だからこそ、捕虜の人権を守るには、国際的な協定が結ばれる必要があった。敵だから尊厳を考慮しなくてよいというのは、前近代的な宗教や部族の原理であろう。

 

20世紀におけるファシズム専制政治が明らかにしたのは、人権の先祖返りは近現代においてつねに起こりうるという現実である。原理的には剥奪不可能な人権が、実際的には剥奪可能であることが証明されてしまった。国籍を剥奪され、パスポートを奪われた難民は、世界における迷い人になるだろう。難民の問題は現在進行形のものである。

 

帝国主義は帝国が奉じる(限定的でしかない)普遍原理の押し付けであり、そこでは、序列が発生するだろう。宗主国で展開されている普遍原理(人権)は、植民地では適応されないだろう。だから植民地の人々はまるで動物のように、人間以下の扱いを受けるし、それが正当化される。なぜなら、植民地の人々は人権を授けられていない存在だからである。

 

第二次大戦後の世界連合の時代は、そのような普遍原理のほころびを繕っていくプロセスの時代だったのかもしれない。それは、ジュディス・バトラーが言っていることを敷衍するなら、普遍性を拡張することであり、普遍性の自己矛盾を解消し、普遍性を真の意味で普遍的なものとして実現していく過程だったのかもしれない。だからこそ、そこでは、人種差別の問題(人種を越えたところに人権を据える)、性差別の問題(性差を越えたところに人権を据える)、児童の問題(年齢を越えたところに人権を据える)がクローズアップされてきたのだろう。

 

しかしながら、西欧近代の発明ともいうべき「人権」という普遍概念=装置は、伝統的な価値観をコアに据えた非西欧社会の限定的「人権」概念=装置と、必然的に、衝突する。後者からしてみれば、前者はまったくの押し付けにすぎない。なぜ人権の適応範囲を真に普遍的なものにしなければならないのか。なぜ人権はある特定の集団にのみ与えられる特権であってはならず、すべての人につねにすでに授けられている基本的権利でなければならないのか。そのような反論はつねにあるだろう。

 

その反論にどのように反論すべきなのか。どのように反論できるのか。「人権は普遍的なものである」というのは、同語反復的なところがある。なぜなら、人権は原理的に普遍的であり、普遍的でなければならないものなのだから。人権が普遍的でならない理由を、人権そのものの性質に求めるのは、説得的な議論ではないだろう。

 

では人権を究極的な意味で保証してくるのは何なのか。

 

それはもしかすると、成文化された法でも、つねにすでにある原理でもなく、「そうであるべきだ」というわたしたちの(主観的にして共同的な)熱意であり、「そのほうがよい世界である」というわたしたちの(恣意的だけれどコンセンサスのある)価値判断であり、わたしたちが自らを賭ける理想だからなのかもしれない。

 

 

翻訳はなかなかひどい出来だと思う。誤訳というのではなく(というか、そこはチェックしていない)、日本語としてただたんに読みづらい。いや、日本語として読みづらいというか、中途半端に原文の文法構造が見えてしまい、読んでいて気になる。原文の文法構造をあえて見せるような訳文にする必然性が、訳文からは感じられないから、なおさら。ようするに、訳文がこなれていないのだ。編集不足だろうか。