アメリカ観察記断章。人種によって肌や瞳や髪の色、輪郭や彫りの深さのあいだには異なった相関関係があり、その組み合わせは限定的である。それが直感的にわかるようになってきたせいだろう、先日、金髪に染めているアジア系の男子を見てものすごい違和感を覚えた。似合ってる似合ってないで言えば似合っているのだが、生物学的にはまずありえそうにないコンビネーションという感じがしたからだ。しかしだからこそ、日本の漫画やアニメのキャラクターの生物学的にありえない自由な組み合わせや色使いが西洋人には解放的に映るのかもしれない。この議論をさらに敷衍するなら、アメリカには様々な文化が具体的に根付いているからこそたとえ仮想的にであれクロスオーバーの想像力が現実的になってしまいがちだが、日本ではそうした実際的な文脈が存在しないがゆえにさまざまな文化の素材が創造的かつ妄想的に乱用誤用されうる、となるだろうか。日本は良くも悪くも美学的であり、おそらくあまり好ましくない意味で美学的でありすぎる。