アメリカ観察記断章。10月12日は「コロンブスの日」で役所関連は祝日になるが、うちの大学は通常どおりである。アメリカの祝日をざっと眺めると、日本の休日とは別の原理が貫かれていることに気づく。
ひとつは、日付固定のもの(新年日1/1、独立記念日7/4、復員軍人の日11/11、クリスマス12/25)が少数派で、基本は何月の第何曜日という変動制であること、もうひとつは、歴史にちなむもの(独立記念日、コロンブスの日)、とくに戦争と軍人にちなむものが多いこと(メモリアルデー5月最終週月曜、復員軍人の日)、そして、個人名が冠されているものがあることだ(マーティン・ルーサー・キング・Jr・デー1月第3月曜、プレジデント・デー2月第3月曜、コロンブスの日10月第2月曜)。
裏を返せば、日本の祝日には特定の人名が入るものがないということだ。この意味で天皇誕生日は日本の祝日のなかで仲間外れ的存在である。建国記念日、憲法記念日を除けば、国民国家的に意義のある歴史性は希薄だろう。そのかわり、日本の祝日は一方で儀礼-儀式的かつ季節的なもの(元旦、春分の日、秋分の日)であったり、儀礼-儀式的かつ人生の節目的なもの(こどもの日、成人の日)であったり、また一方で道徳的倫理的なものであり(敬老の日、勤労感謝の日)、他方ではなんとなく文化的なものである(海の日、体育の日、文化の日)。
もちろんこれらの背後に国家的な意味を読み込むことは可能だし、そもそもの成り立ちはネーション・ステイト的精神にあったというべきだろう。国家が祝日を定めるとき、そこに政治的意図が潜んでいないことはありえない。しかし日本の祝日は、法律的に定められた祝日ではないが大衆の心情のなかでは準祝日と捉えられている季節的行事(節分、ひな祭り、お盆など)と混ざり合っているがゆえに、根底にあるはずの国家的-政治的-歴史的意味合いが見えにくくなっているきらいはあると思う。その最たる例は、もちろん、終戦記念日とお盆だろう。
とはいえ、アメリカ人が祝日の歴史的意義を十全に意識しているのかというと、そこはきわめて疑わしい。アメリカ人の友人の言葉によれば、アメリカの祝日とは「BBQをして酒を飲むための口実にすぎず、それ以上でもそれ以下でもない」らしい。