うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカの食の豊かさ。

アメリカ観察記断章。アメリカの食は貧しいのか。アメリカ「人」の食は貧しいかもしれないし、アメリカ「文化」は食事そのものにそこまで興味はないような気がするけれど、日本に流通しているようなステレオタイプほどには貧しいものではないというのがここ何週間か1食10ドル以下縛りで外食してみた感触だ。とはいえこれはかなり西海岸的な状況のような気もするので、南部や中西部や東部には当てはまらないのかもしれないが、多民族国家にして農業国であるアメリカで食の選択肢が少ないというのは考えてみれば奇妙な話である。

要するに移民コミュニティがあるところ、移民世代が多数住んでいるところには、必然的に、その国のスーパーや食べ物屋(レストランというよりは食堂といったほうがピッタリくるかもしれない)があるからだ。もちろんカリフォルニアのような場所では、いたるところに、全米展開の大きなスーパーがある。それはどこにあろうと同じ品揃えで完全に規格化されたものなのだが、それと同時に、ローカルチェーンのスーパーがあり(たとえば日系スーパーはこの部類に入る)、もっと小さな何でも屋のような店(八百屋プラス肉屋のような店)がある。後者2つのエスニックなところをコアに据えた店にはアメリカの普通のスーパーでは手に入らない食材や調味料が売っていたりするし、食文化の根幹にあるものの品揃えが多種多様で割安だったりする(メキシコ系の店での乾燥豆、日本食スーパーの鮮魚、中華系スーパーや韓国系スーパーの精肉、中近東系スーパーの果物)。

以前書いたことだが、アメリカにおけるエスニックフードはどれもある意味でとてもオーセンティックである。というのもメキシコ料理はメキシコ系の人が、ヴェトナム料理ならヴェトナム系の人が作っているからだ。いや、たしかに、日本食を韓国系がやっていたり、フランチャイズ系の中華料理屋ではメキシコ系の人が調理していたりするし、Yelp(アメリカの食べログのようなもの)には「ここの○○料理はauthenticじゃない」という文句がよく書いてあったりするし、エスニックフードはかなりのところまでどれもアメリカナイズされてしまっている部分はあると思うが、移民コミュニティに愛されている場所は依然として小洒落たレストラン(フュージョン系のヌーベル・キュイジーヌ)にはならず、どこか泥臭く垢抜けないままである。

こういう視点でアメリカの街をドライブしてみると、過去というものがほとんど存在しないように見えるアーバインという人工性の極北にある街ですら、重層的な歴史をはらんでいることが見えてくる。

アメリカの商業は交差点にある。ショッピングモールが区画単位(交差点から交差点まで)の正方形や長方形であり、それは都市計画的なものにもとづく上からの開発であるとしたら、あちこちの交差点に点在する店はもっと自然発生的なものであるように思われるし、こういう交差点そばの店はだいたい古くてボロい。アメリカの商業空間は三つの広がり方をしているように思う。ひとつはこうした交差点を起点にして少し広がるケース。もうひとつはダウンタウンにあるストリートの両側に広がるケース。そして最後がブロック単位で広がる(しかしブロックで閉じている)ショッピングモールというケースである。

交差点を起点にしたビジネスエリアは基本的に長家作りになっている。つまり店が四つ五つ軒を連ねているのだけれど、隣の店同士で壁を共有していて、建物としてはひとつなのだ。これはいくつかのランクがあるように思う。最下層にあるのはおそらく平屋根のもので、屋根も外壁も黄土色一色で塗られており、見るからにみすぼらしい感じがするし、店同士を区別するのは看板だけである。これが少しランクアップすると屋根が真っ平らなものから傾斜のあるものに変わり、外壁と屋根の色が変わったり、店ごとに少し看板の感じや形が変わってきたりするし、軒先(アーケード部分)もしっかりしたものになってくる。しかし建物は依然として平屋で長屋づくりである。これよりさらにランクアップしたと言えるのかわからないが、似たような作りで二階建てになっているところもある。しかしそれは見るからに同じ構造のものを2つ積み重ねたという感じで、建物というよりはレゴのブロックを積んだというような印象を受けるし、2階への階段にしても、2階部分の手すりにしても、見るからに頼りない。これがさらにランクアップすると、建物は最初から二階建てを意図して作られたものになるし、階段もむき出しの鉄階段ではなく真っ当な構造物となるし、店舗ごとに外装がけっこう違ってくる。だがこうしたきちんとした建物は交差点ではなくショッピングモールのなかにしか見られない。

当然ながら歴史が感じられるのは交差点から広がる長屋的商店である。すべての店が古いというわけではない。意外と入れ替わっているような感じもするし、エリアによって新しい店が入って若返っているように見えるところもある。しかし大体は古ぼけた感じの店が残っていたり、長いことそこでやっている店があったりするのだ。面白いのはこうした交差点にはこういう昔ながらの個人商店の生き残りのようなものが、ファーストフードと共存していることだろう。いい忘れたが、こうした交差点のビジネススペースはほぼガソリンスタンドとセットである。どちらが先でどちらが後なのかはわからないが、つまるところ、この交差点の広がりは車社会を前提としたものであり、それゆえ、せいぜい戦後の産物にすぎないだろう。この意味で、ダウンタウンのストリート文化のほうが歴史としては古いはずである。

こうした交差点のスペースは車でないと案外アクセスしづらいところがある。アメリカで交差点や道路を歩いて渡るのはけっこう面倒なのだ。というのもまず歩行者信号がなかなか変わらないし、十字路で三つしか横断歩道がない場合もあるので、角から角への移動が車よりずっと手間がかかるのだ。