うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカの祝日の宗教性。

アメリカ観察記断章。アメリカでイースターは公式な「祝日」扱いではない。これはアメリカが基本的に政教分離を謳っていることを考えれば当然だ。しかしショッピングモールはほぼ祝日営業で、終日休みのところも多い。つまり、アメリカでは、依然として宗教的な暦が日常に句読点を打っている。さて、では日本の祝日ないしは準祝日にそうした宗教的色彩があるかというと、どうなのだろう。お盆は間違いなく宗教的だが、国家的ではなく、祖先的なもの、土着的なもの、家族的なものだろう。天皇誕生日は国家=宗教的祝日と言えなくもないが、現代において、あれはクリスマスイブのイブでしかないように思う。元旦の初詣に明確な宗教性があるだろうか。ここにはあるのはあくまで迷信的なものであるように思う。たとえばおみくじであり、縁起を完全には無視できない心性であり、これを敷衍して言えば、儀式的なものの偏重(入学式、入社式)である。日本には日常にリズムを刻むような体系化された宗教は欠けているかもしれないが、それと引きかえに、もっと直感的レベルに落とし込まれた霊的感覚が遍在しているように思う。しかし、宗教がいわば超越的な高みに憧れることによって時にラディカルになる可能性を秘めているのに対して、儀式的なものとして残存する感覚は、伝統=先例の遵守という保守性でしかありえないのではないだろうか。