うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。宗教的情熱。

アメリカ観察記断章。アメリカ社会は功利的な原則によって成り立っていると思う。にもかかわらず、ここには、利益=利潤的なものでは説明できない何かもある。学部生相手に英作文の授業を受け持ってきて6年になるが、20人くらいのクラスで、常にひとりふたり敬虔なキリスト教信者がいた。彼女ら彼らは見かけからしてとくに信心深いという感じはしない。しかし、時折、驚くべきほどの強度で信仰について語るのだ。アメリカ社会は表向きは世俗的だが、そうした薄っぺらい表層の下には、強力な宗教的力がある。合理性の下には非合理的な得体の知れない力が潜んでいるのだ。具体的な数字で言えばその数は決して多くない。自分の受け持ったクラスに関して言えばそれは5から10パーセントにすぎない。しかしそのプレゼンスは明白である。そしてこの非合理的な力は、宗教として、合理的に組織されている。資本主義経済は利己的以外の動機を信じないだろう。しかしアメリカにおいて、資本主義的なものは、かなりぎりぎりのところで、非合理的な宗教的情熱によってかろうじて釣り合いがとれているようにも感じる。ここには超越的なものがどこか残存している。