うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。商業的空間の言語。

アメリカ観察記断章。アメリカで小売店に入り店員と目線が合うと、「how are you?」とか「how are you doing?」のような言葉が返ってくる。アメリカ生活7年目(!)が終わろうとしているというのに、いまだにこの親しげな話し掛けに慣れることができず、一瞬ドキリとして挙動不審になり、返答がワンテンポ遅れてしまう。しかし先日なぜこうもビビってしまうのかと改めて考えてみて、ふと行き当たったことがある。現代日本語では商業的言語と私的言語のあいだに明確な区別がある。「いらっしゃいませ」とか「何かお探しですか」をプライヴェートで使う人はあまりいないと思うし、訪問客に言う落ち着いた口調の「いらっしゃい(↓)」と、店で声高に叫ばれる「いらっしゃいませー(↑)」はまったく別物だ。しかし英語の文脈だと、店員の言う「How are you?」と知人の言う「How are you?」には質的な差異がほとんどないように感じる。つまり、商業的空間における言語と私的空間における言語の隔たりが、日本語に比べると、ずっと小さいのだ。店員の何気ない言葉に驚いてしまうのは、おそらく、もっと非人間的でマニュアル的な対応を本能的に期待しているのに、妙に私的な響きをそこに感じ取ってしまっているからなのかもしれない。もちろん、アメリカの店員にとっての「How are you?」は日本の店員の「いらっしゃいませー」と同じくらい機械的な反応だと思うのだけれど、それをどうしても誤読してしまっているらしい。長年の刷り込みによって心の深いところに刻み込まれてしまった習慣は果たして修正できるものなのだろうか。