うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。金持ちの寄付と文化のアウトリーチ。

アメリカ観察記断章。先月からコンサートに行きまくっている。ユロフスキ・LPO、スメタナトリオ、ハーゲン四重奏団、モザイク四重奏団、そして今日のビエロフラーヴェク・チェコフィル。安い当日券で入っているので、ワールドクラスの演奏だというのに、ここまでのチケット代全てを足しても1万円に充たない。それはつまるところ、アメリカにおけるクラシック音楽が有閑階級による寄付金で成り立っているからだと思う。クラシック音楽のコンサートは商業的なものではなく文化的なもので、政治的なもの(公的資金による援助)というよりは私的にして公的なもの(メンバーシップ、ボランティア)なのだと思う。コンサート会場で見かけるのは、だいたい、裕福な白人の有閑階級の人々である。仕立てのいいスーツやドレスに身を包んだ妙齢の男女だ。こうした年老いた聴衆を見ると、アメリカにおいてクラシック音楽に未来はあるのかと不安になるが、そんな未来を誰よりも憂慮しているのは、こうしたイベントを金銭的にも精神的にも支援している人々にほかならない。だから彼ら彼女らはoutreach活動に積極的だ。Outreachはどうにも日本語にならないが(というのもこれに相当するアクティヴィティが日本にないからだと思う)、広報活動とでも言おうか、寄付金は優れた演奏家を招聘するためばかりか、コミュニティの子供たちに音楽に触れ合う機会を与えるためにも使われる。死にゆく文化を前にして、斜に構えることなく、自ら宣伝に赴くのだ。まあこうした活動がどこまで成果をあげているのかとなると、よくわからない。聴衆の8割以上があと一世代もすれば滅びてしまう人々である聴衆を見ていると、あまり楽観的にはなれないが、彼らが自らの緩慢な死を手をこまねいて待ち望んでいるわけではないことは確かだ。負け戦であれ、誠実に戦われている。