うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。可視化されるパトロンの存在。

アメリカ観察記断章。日本におけるクラシック音楽のコンサートは儀式のようなものだと思う。それはほとんど宗教めいており、クラオタという人種が集う厳粛な祭典のようなものだ。しかし南カリフォルニアクラシック音楽のコンサートでは、それとはまったく異なるくつろいだ空気を感じる。これはおそらく、アメリカのコンサートがソーシャルなイベントだからだと思う。象徴的なのは、毎回コンサートが始まる前に、招聘元であるローカルな音楽友の会の会長による挨拶があることだ。この前口上はまったく型にはまったものだけれど(「今夜はようこそお出でくださいました。我々はこの度世界有数のオーケストラを迎えるという幸福に恵まれ云々」)、そこで必ず言及されるのは、多大な寄付金でコンサートを可能にした人への感謝であり、聴衆は拍手でもって彼彼女の献身的なサポートを讃える。彼彼女の名前はステージ上方にも投影されている。ここでは芸術を支えるパトロンの存在が完全に可視化されているのだ。縁の下の力持ちは日陰者にはならない。もちろんアメリカでこうした寄付活動が盛んなのは税金の問題によるところが大きいのだろう。そして、名誉欲というきわめて俗っぽいものが芸術イベントというきわめて高尚であるはずの場で正しく盛大に肯定されるというのも、きわめてアメリカ的なジェスチャーであるように思う。