うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

大地を響かせ、空気を震わせる――ロシア連邦トゥバ共和国のチルギルチン

20221009@グランシップ中ホール・大地

ホーメイという唱法はなんとなくは知っていた。しかし、ひとりでふたつの音を同時に出す技法ということ以上のことは知らなかったし、あえて調べてみようという気にもならないまま、ここまで生きてきた。ロシア連邦トゥバ共和国の団体チルギルチンが近所で公演をするというので、せっかくだから行ってみた。3000円だったし。

www.granship.or.jp

 

英語ウィキペディアによれば、ホーメイは英語表記ではkhoomei 、トゥバ語表記ではхөөмейとなるそうだが、Tuvan throat sining (https://en.wikipedia.org/wiki/Tuvan_throat_singing)として立項されていることからもわかるとおり、「喉」の使用が決定的らしい。出てくる音という観点から定義すれば、overtone singing ということになるのだろう。元音を喉で響かせることによって、その音に含まれている倍音を増幅させ、完全な可聴音に昇華させるということだろうか。それが実際にどうすれば可能になるのかはまったくわからないが、音響現象として原理的に説明するなら、そういうことになるのだとは思う。

クラシック音楽に慣れている耳からすると、ラヴェルの「ボレロ」のピッコロとホルンの、溶け合っているようで溶け合っていない、響き合っているようで完全に分かれている2つの音の流れを想起させられる。音の手ざわりとしては、ファゴットとフルート、コントラバスハーモニクスのバイオリンという感じ。唸る低音の実音の上空で、エアリーな高音が飛翔している感じ。

招聘者であり司会でもあった巻上公一によれば、ホーメイにはさまざまな流派というか流儀というか、別の技術があるらしい。ただ聞いたかぎりでは、どこがどう違うのか、技術的にどうこういうことはできないし、音としてどこまで聞き分けられていたか怪しいところではあるけれど、笛のように滑らかに突き抜ける音もあれば、テルミンのように浮遊してただよう音もあったし、風切り音のようにざらついた感じに響く音もあったのはわかった。そしてどの音も、とてもやさしい音だった。空気を裂くような高音でさえ攻撃的ではない。

音楽は反復的だ。4小節がひとかたまりで、8小節が1ユニットになっていた。基調となるリズムがあって、それを基礎にして旋律を載せていく。きわめて予測可能な音楽ではある。しかし、音楽が予測可能ではないことを期待するのは、芸術がオリジナルであることを期待するのは、きわめて西欧ロマン主義的な価値観ではないか。それどころか、すべての音域を均質にカバーする楽器なり奏法なり唱法を望むというのも、きわめて西欧的な美意識なのかもしれない。

男性3人、女性1人からなるチルギルチンは、そのひとりひとりが奏者でもあり歌手でもあり、さまざまな楽器を演奏できる。その意味ではだれもがマルチプレーヤーである。その一方で、4人の声は、バス・テノール・アルト・ソプラノといった西欧音楽にありがちな声域で差別化されるわけではない。むしろ、4人の声は、声質の違いであるとか、技術的に卓越した分野に違いという観点で、別個の存在なのだろう。

チルギルチンの声は天に解放されるというよりも、大地を響かせる。大地の響きが空気を震わせ、空を震わせる。彼らの声、彼女の声は、頭から抜けていくというよりも、喉から体全体の骨格に響いていくかのようである。太くて、どっしりとしている。ゆるぎないものがある。

それを聞いていると、西欧的な舞台芸術の身体――オペラの声、バレエの体――がいかに不自然に規律化されたものであるかに気づかされる。あれは、いわば人間の身体にとって不得手なところをも自由自在に操作できることを前提とした人為的なものなのではあるまいか。

もちろん、ホーメイは特殊な技術ではある。習得を必要とするものではある。しかし、その訓練は、所与の身体を無理やりに拡張するというよりも、所与の身体にとってもっとも自然な、もっとも歌いやすい音域、もっとも動かしやすい可動域を中心にして行われるものではないかという気もする。重心がつねに低く、きわめて安定している。

2時間近くにわたるコンサートは、長かったとも言えるし、短かったとも言える。似たような曲が続いたとも言えるし、似ているようで非なる曲が贅沢に奏されていたとも言える。大いに楽しんだとも言えるし、楽しめていたのかよくわかないとも言える。それはおそらく、ここでは、別の価値観が、別の美意識が、別の時間感覚が現実化していたからなのだと思う。不思議な体験だった。

それにしても、あの音が、自然のなかで、さえぎるところがないであろう草原でどのように響くのだろうか。それを是非とも聞いてみたい。