このところLuiz Fernando Malheiroというブラジルの指揮者の録音をYouTubeで聞いている。ネットで検索しても英語の情報はでてこないが、ブラジルのオペラ界の重要人物のひとりらしく、アマゾナス州の州都マウナスのアマゾナス・フィラルモニカの芸術監督を務め、サンパウロやリオデジャネイロのオーケストラにも客演している。
ポルトガル語のページを英語に自動翻訳したものによれば、Malheiroはポーランドとイタリアで音楽教育を受け、指揮は、ローマでバーンスタインに、シエナでフェルディナント・ライトナーに、ミラノでカルロ・マリア・ジュリーニに学んでもいるという。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、アマゾン地方のゴム・ブームで潤っていたマウナスに建造された豪奢なテアトロ・アマゾナスで1997年から開催されているフェスティバル・アマゾナス・デ・オペラは、わりと挑戦的なプログラムを組んでいるようで、プッチーニやヴェルディやワーグナーをやる一方で、ベルクの『ルル』やプーランクの『カルメル派修道女の対話』を上演している。
このフェスティバルでオーケストラピットに入っているのがアマゾナス・フィラルモニカのようだが、オケの公式ホームページによれば、「設立当初は44人で、そのうちアマゾナス出身は2人しかいなかったが、現在は76人で、そのうち21人がアマゾナスから、55人がさまざまな国の出身者である」という。
YouTubeの映像を見るかぎり、とりたててうまいという感じはしないし、とくにバイオリンの弾きっぷりはややなおざりに見える(そのかわりにコントラバスは妙に気合が入っている)。二流というわけでもないが、一流とも言いがたい。しかし、不思議な魅力がある音を出す。
それはきっと指揮者の手腕が大きい。Malheiroはオペラ畑の指揮者らしく、俯瞰的に悠然と流れていく音楽を作っている。かなり恰幅のいい人物で、コンサートホールで立って指揮するときは、肩幅程度に開いた両足から腰までがまるで巨木の幹のように圧倒的な存在感をもってそびえており、それが盤石の土台を持つ音楽を作り出している。円運動をメインにした大きな身振りで、長めの指揮棒を、明確に振る。要所で、はっきりとキューを出す。職人的な確かな技術と圧倒的な経験値に支えらえた指揮ぶりは、現代では珍しい部類に入るだろう。
とはいえ、なぜMalheiroの音楽が不思議と面白いのかというと、彼の作り出す音楽が決して停滞しないからだ。テンポが速いわけではない。リズムのエッジが利いているというわけでもない。一聴したところ、さして特徴のない感じもするのだけれど、ずっと聞いていると、適切に弾み続けるリズム感とテンポ感のよさが気持ちよくなってくる。細部をいじくりまわすタイプではないし、ことらさに構造を抉り出すタイプでもないけれど、縦線は楷書的にきっちりと打ち込み、横線のほうはフリーハンドに流していく。
ある意味、緩い。演奏者の技術不足を前提条件として受け入れ、それを力づくで無理に引き上げるのではなく、ルーティーンにならないようにうまく流している。それなりのベストパフォーマンスをキープし、それを累積させることで、最終的に素晴らしいベストパフォーマンスになってしまっている。
このあたりの脱力感が絶妙で、だからこそ、旋律がフワッと浮かび上がってきて、ほかのどの指揮者よりもメロディアスな音楽を作り出す。
オーケストラの音のバランスもわりと独特だ。音ヌケがよい。ビオラやチェロといった中音域が豊かで、だからなのか、オーボエクラリネットのような木管楽器が実在感を持って迫り出してくる。
本当に不思議なのだけれど、Malheiroとアマゾナス・フィラルモニカの手にかかると、ワーグナーがどこかヴェルディのように響く。音楽が旋律と伴奏に分離し、歌主体になっているからではなく、すべての線が太く、生き生きと弾み、進んでいくからだ。暗く沈むのではなく、熱く燃える情念的な強度が前面に出てくるからだ。細部を何度もなぞるようにして精密に削り出すのではなく、中太の筆で一息に力強く書ききっているからだ。
なるほど、こうした音楽づくりはイタリアや東欧のローカルな団体の演奏にありそうな感じではあるが、Malheiroたちの場合、そこに、暖かな(しかし、暑苦しくはない)明るさと、しっとりとした(しかし、じめじめはしていない)空気感と、よく弾む(しかし、跳ねすぎない)自然な弾力感がある。
健康的な倦怠感とでも言えばいいだろうか。この感覚は、ヨーロッパのオケにも北米のオケにもアジアのオケにも聞き取れないものであるような気がする。