うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

室内楽編曲された『ワルキューレ』:ロングボロー音楽祭の映像

YouTubeのサジェッションでたまたま見つけたこのワーグナーの『ワルキューレ』の映像は、2021年6月8日、イギリスのコッツウォルズで開かれていたロングボロー音楽祭の記録とのことだが、室内オケのサイズにまで縮小したFrancis Griffinの編曲(4-4-3-3-2の1管編成)は思った以上に違和感なく聞ける。  

演奏会形式と舞台公演の中間のような演出で、感染症対策ということもあるのだろう、木管金管と指揮者はオーケストラピットに入り、弦楽器は舞台上に椅子を並べて弾いている。歌手たちはモノトーンなスーツに身を包んでおり、神話的人物というよりは現代的な雰囲気を醸し題しているけれど、特定の時代を表しているような感じはしない。

歌手は基本的にイギリス系のようで、まったく知らない面々だが、わりとフルオケ的な声の出し方をしてしまっている歌手が多い。ジークムントのPeter Weddも、ジークリンデのSarah Marie Kramer(彼女はオランダ出身)も、うまいにはうまいのだけれど、オケのサイズからくる必然的な響きの薄さからすると、声がすこし豊満すぎる。

ブリュンヒルデのLee Bissetはそのあたりをうまく調整し、声量よりもニュアンスを効かせた歌いまわしにしているし、抑えがたい情動を身体的な震えに巧みに変換している(なんという力強い表情!)。

しかしウォータンのPaul Carey Jonesはそのさらに上を行く。Wikipediaで調べたところ、彼はオックスフォード大学のクイーンズ・カレッジ出身のインテリで、現代音楽の擁護者でもある。おそらくフルオケでは不可能な、息の音を含めた弱音を表現として使いこなしている。かなりリート的な歌いまわしといってもいい。子音の発声が素晴らしくクリアで、母音に色がある。言葉の意味をケアしつつ、言葉の響きに耽美的に耽溺するのは、きわめて現代的な(ポストDFD的な、ポスト・ポストリッジ的な)歌い方だろう。古楽器的な技術を取り入れているように聞こえる部分もある。出だしにアクセントをつけるのではなく、すこし軽く入って声をふくらませるようなやり方。輪郭の隈取を際立たせるのではなく、音を空間に溶け出させるような響かせ方。

『指環』すべてのなかでもっとも美しい音楽のひとつであると(個人的に思う)ウォータンの告別の歌の間奏部分は、シェーンベルクが私的音楽会のために編曲した音楽のような響きがする。ハーモニウムのような、軽く金属的な天上の音。

照明とカメラもうまい。暗闇に包まれた舞台のなかで、ウォータンとブリュンヒルデの顔がアップで映し出される。言葉にならない思いで唇を震わせ顔を上げるウォータンに、ほほ笑むように、強い意志を表明するように、わずかにうなづくブリュンヒルデのまばたき。

Paul Carey Jonesはかなりの芸達者だが、手の表情を演出的にここまでうまく使わせているのは、ChoregrapherとしてクレジットされているLorena Randiの手柄かもしれない。

指揮者のAnthony Negusは、フルオケの響きを懐かしがらせるのではなく、室内オケのスリムさをそれ自体の魅力に昇華させている。

無料公開は2022年2月25日までとのこと。

youtu.be