うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ロシア的なパワーと照明の幻想味のミスマッチ:出所のよくわからない『トリスタン』の映像

どういう出所の映像なのかよくわからないが――カメラワークの稚拙さからすると、膝上録音ならぬ膝上録画のような感じもするが、そのわりには字幕が入っているのが解せない――オーケストラのあまりにパワフルな演奏にときどき思わず笑ってしまう不思議な魅力のあるワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の映像。

 

投稿者の記述によれば、「07.02.2015.」(2015年2月7日?)の公演、演奏団体は「orchestra Novaya opera」、指揮者は「V. Valitov」となっている。英語版Wikipediaで調べたところ、Novayaはロシア語でNewの意味で、正式名称はThe Kolobov Novaya Opera Theatre of Moscowになるらしい。

Kolobovは、この団体の創設者である指揮者Yevgeny Kolobovのファミリーネームであり、2003年に亡くなったKolobovを記念して2006年から冠するようになったとのこと。上記の英語版Wikipediaに貼ってあったリンク(公式ホームページの魚拓?)によると、モスクワ市長Mayor Yuri Luzhkovの支援を受けて1991年に設立された団体とサラッと書いてあるが、フランス語版Wikipediaによれば、もっと混沌とした事情があるようだ。

KolobovはもともとはStanislavski and Nemirovich-Danchenko Moscow Academic Music Theatre——この団体は、ボリショイ劇場のオペラ・スタジオとして1918年に創設されたスタニスラフスキーオペラ座と、モスクワ芸術座のスタジオとして1919年に創設されたヴラジーミル・ネミロヴィチ=ダンチェンコ音楽座が1941年に合体したものである――の首席指揮者だったが、1991年、プログラムをめぐる内部のゴタゴタで辞任し、彼に続いて職を辞した歌手やオーケストラとともに、新団体を設立したという。

しかし、上記の英語版Wikipediaの記事をもうすこし詳しく見ていくと、状況はさらに複雑だったようだ。1989年に劇場が火災に見舞われ、大道具が被災し、20演目が数年にわたって演奏不可能となり、1990年12月、マネジメントをめぐってストライキが勃発する。モスクワ市は2週間劇場を封鎖し、翌年1月に劇場は再会したものの、マネジメント体制は手つかずのままで、同年7月、とうとうオーケストラとコーラスが、複数の指揮者たちととも、劇場のソリストを巻き込むかたちで辞任し、マネジメントが刷新されたとなっている。

1980年代後半から90年代前半といえば、ペレストロイカグラスノスチの時代、ソ連邦の崩壊の時期であり、ここにはもっと大きな争点が絡んでいたのかもしれない気がするが、さすがにそこまでは書いていないので、よくわからない。  

 

というような複雑なお家事情はさておき、このパワフルな演奏はかなり異質だ。弦楽器は細かいパッセージの輪郭をきわどいくらいに強調しており、横の揺蕩う流れではなく、縦線のリズムがソリッドに迫り出してくる。フルオケにたいしてソロに近いかたちで奏でられる木管の旋律が、どういうわけなのか、オケに埋もれることなく前面に浮かび上がり、力強く、力強すぎるほどに、自身の存在を主張する(そのせいで、まったく別の音楽に聞こえる瞬間が少なからずある)。縦ノリな金管も怖ろしくパワフルだが、それに加えて、ティンパニの凄まじい打撃や、シンバルやトライアングルの金属的な衝撃があり、ところどころでほとんどショスタコーヴィチのような敏捷に重量級な鋼鉄の音楽になっていると錯覚させられる。

そうした音のバランスになっているのも、歌手の声がオケにかき消されているのも、録音の問題によるところが大きいのはまちがいないけれど、この直線的な怒涛の音楽作りは、人間の声をサポートしようという献身的な態度とは一線を画するものだろう。ある意味、オペラ劇場のオケらしからぬ音作り。その中で、マルケ王は、歌手にフレンドリーといえない暴走的オケをものともせずに歌い切っている。

歌手ひとりひとりの演技はお世辞にもあまり上手い方とは言えないが、歌手たちの空間配置や光の使い方に演出の巧さがある。とくに1幕最後の愛の媚薬を飲み干した後の暗転、舞台袖から斜めに射し込む光が床にまき散らされた花びらを照らし出し、吹き寄せる風が葉を吹き散らすところは、きわめて美しい。マルケ王とその家臣たちを活人画のように活かしているところも面白い。全体的に、細部の演技ではなく、立ち位置と照明で魅せる演出だ。

1幕最後の家臣団は、労働者と軍人の中間のようなネイビーの上下にハンチング帽だが、2幕と3幕で登場するときはぴったりとしたブラウンのレザーのブルゾンとパンツに、同色のニット帽で、どこかパンク的な感じがする。疑似中世的な装いのトリスタンとブランゲーネ――投稿者がイゾルデ役のOlga Terentievaだけをクレジットしているところからすると、彼女が見所と言いたいのだろうが、たしかにウェーブのかかった長いブロンドの髪に深い藍色のスリムなドレスを着こなす彼女は、きわめてイゾルデらしい見た目ではある――にたいして、トリスタンもマルケ王もあまり中世的という感じはしない長いコートを羽織っており、とくにスーツのように見えるものを中に着込んでいるマルケは、奇妙に現代的な存在感がある。

全体をとおして照明の作り出す幻想味と、オケの暴力的なまでの現実味のミスマッチが面白い。しかし、最後に心に残るのは、静かな海の底を思わせるような、暗く澄んだ夜の空を思わせるような、陰翳のある深い藍色のほうだ。愛の死の後の演出は陳腐だし、蛇足に感じられるが、絵としては格別に美しい。

 

youtu.be