うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

「アメリカ合衆国と日本のふたつの帝国主義を同時に撃つ」(豊浦志朗『叛アメリカ史』)

「ふつう、アメリカ合衆国の『少数民族』と言われる人間の叛史は、民族復権の過程と併走して行われる。そこでは『帰属性』がたえず問題にされ、人はひとまずその出身地に精神的な回帰を試みて、そこから反撃を開始するのだ。黒人は強奪されてきたアフリカに舞い戻り、インディアンは民族絶滅策の現場にたてこもり、チカーノやプエルトリコは略奪された祖国にいったん帰着してみる。叛史の出発点はとりあえずそこにあるのだ。しかし、海を越えた日本人が日本に回帰してみたところで何になろう。彼らが発見するのは、戦前のアジア・太平洋の侵略と、ふたたび帝国主義段階にはいり汎アメリカ史の舎弟分として揺るぎない地位を獲得した出身国の姿だけである。ドイツ系アメリカ人がドイツに舞い戻ったところで叛アメリカ史の契機にはならないように、日本人もまた精神の帰郷によっては第三世界を獲得することはできないのだ。『イエロー・パワー』の日本人が、中国人や朝鮮人、フィリピン人に第三世界論を原型のままでふりまわしても信頼されるわけもなかった。他のアジア人がアメリカへ渡ったのは、日本に侵略されたせいでもあったからである…アメリカ合衆国と日本のふたつの帝国主義を同時に撃つーーこれが他の少数民族と日本人とを連結させる唯一の信任状である。逆説的に言えば、これによって日本人ははじめて小数民族になれるのだ。」(豊浦志朗『叛アメリカ史』258、260頁)