アメリカ観察記断章。アメリカの調理器具は単機能のものが多い。なぜここまで特化した道具があるのだろうと首をかしげたくなるほどだ。たとえばスライサー。もちろん日本によくある多機能な、いろいろな野菜に使えるものも売っている。しかしそれと同時に、特定の野菜や果物専用のものもある。近所のスーパーの野菜果物売り場をよく見るとそういう器具が並んでいる。ストロベリー・スライサー、バナナ・スライサー、アップル・スライサー、アボカド・スライサーなどなど。こういうツールは実は決して安くはない。100円ショップにありそうなアイディア商品とでも言うべき代物だが、価格としてはその五倍から十倍はする。どれもこれもちょっとしたナイフがあれば事が足りうるのに、なぜこんなものがあるのだろうかといつも思う。アメリカ人はスライサーがないとフルーツやベジタブルをカットできないほど不器用なのか。アメリカでは、食べるのに包丁が必要かどうかというのは、かなり大きな分岐点であるような気はしている。果物にしても、アメリカではだいたい皮を剥かずにかじってしまう。アメリカにおけるカット野菜やサラダは、日本におけるそれとは微妙に位置づけが異なっているのだろう。前にも書いたが、日本のカット野菜がその後の調理を前提としているとしたら、アメリカのカット野菜はそのまま食べることを想定しているように思う。さまざまなスライサーがあるのは、それを使えば野菜がすぐに食卓に載せられるということなのかもしれない。つまりスライサーは包丁という調理器具の代替物というよりは、素材から料理というプロセスをショートカットするための道具なのだろう。