うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。袋入りラーメンとカップラーメン。

アメリカ観察記断章。週末、学科のイベントでジョシュア・ツリー国立公園に行った。その近辺でコンビニともスーパーともつかない店に入る機会があったのだが、なんとなく棚を物色していると、袋入りラーメンとカップラーメンが並んでいた。日本のどこか鄙びた温泉街、有名ではあるが大々的に開発されているわけでも宣伝されているわけでもない観光地、フランチャイズのコンビニではない「何でも屋」とでもいうべき個人商店で、思いがけず海外産のジャンクフードと遭遇した感じとでも言おうか。NissinのRamenがこんなところにまで浸透しているのかと驚いてしまった。

ここからが前回の続きなのだが、アメリカのラーメンの味は日本のそれと根本的に異なる。日本のラーメンは程度の違いはあれ、かなり脂のコクが効いている。アメリカのラーメンにはそれがない。だから味が薄っぺらい感じがする。奥行きがないというか、パンチがないのだ。しかしその一方で、日本のラーメンにはない酸味のような刺激がある。あえて言えば、東南アジア系のスープの系統の味だろうか。別の言い方をすれば、ダシの腰が弱い。

追求する味の傾向、求められている味の傾向が根本から違うのだろう。上で述べたことと矛盾するように響くかもしれないが、日本のラーメンは最終的な味付けをどうするかでカテゴライズされる。塩、醤油、味噌、豚骨、というふうに。しかしアメリカのラーメンの分類はスープストックの主材料が基本となっている。チキン、ポーク、ビーフ、マッシュルーム、シュリンプ、というふうに。

全味食べてはみたものの、あまり違いはわからない。最終的な味付けがどれも似通っているからだ。塩味系ではあるが、日本人の味覚からするとエスニック系と言ったほうが妥当かもしれない。実際、酸味を強調したものがあり、ライム入りのフレーバーがある。これはもはやラーメンという感じがしない。トムヤムクンのようなスープに近い。日本の料理の基本にあるコクやまろやかさは、アメリカの食文化の文脈だとインパクトが足りないのかもしれない。

これはカップ焼きそばを食べるとよくわかる。日本の焼きそばは、ねっとりしたソースのまったりした味わいが基調にあり、そこにマヨネーズの柔らかいくどさが加わる。アメリカで売っているものはもっとずっとさらりとしていて、甘みや甘辛さではなく、酸味を活かした味付けになっている。

端的に言うと、日本の料理は甘いのだと思う。糖度ではなく、全体的な調和を志向するという意味で。さまざまな方向に突出したスパイスやハーブを組み合わせてバランスを取るというより、いろいろなものからクセを取り除いて角を落とし丸みを作るという意味で。