うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカンドリームという神話の残存。

アメリカ観察記断章。先の表情が読めなくて怖いと言った学生はものすごく熱心な子で、毎回授業の後にいろいろ質問をしてくれるので、こちらとしても嬉しくて、できるかぎり誠実に返答しようと心がけている。彼女は中東からの移民第二世代で、彼女の家庭のなかで初めて高等教育に進んだ人間になると話してくれた。アメリカは必ずしも平等な社会ではないし、ソーシャルセキュリティーのネットワークも穴だらけだ。彼女は医療系を目指しているが、それは両親の社会保険にまつわる困難を目の当たりにしてきたからこその選択であるように見受けられる。アメリカの偉大さは、いまだに、アメリカンドリームという神話が有効なところにあると思う。多文化共生だとか他者への寛容だとかいう美辞麗句は魅惑的だ。しかしアメリカのような雑多な社会を見ていると、そうした建前だけの中身のない言葉は無意味ではないかと思えてならない。アメリカがアメリカである理由、それはアメリカンドリームという「大きな物語」(サクセスストーリー)が依然として有効で、そこにコミットすることが未だに可能でありつづけているからだと思う。日本に欠けているのは、そうした抽象的な意味での「同化政策」ではないか。この生徒はエジプト系の「血筋」を誇りに感じつつ、「アメリカ」の価値観(の肯定的な部分)を心から受け入れているように感じられる。アメリカだと、アメリカンドリームは、たとえ虚構であれ、かなり明確な形で目に見える。しかしジャパニーズドリームは同じように可視的だろうか。どうもそうとは思われない。