うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アフロ・アメリカンの学生の尖り方。

アメリカ観察記断章。南カリフォルニアというか、いま自分がいるキャンパスでは、アフロ・アメリカン系の学生に会うことがあまりない。英作文のクラスは23人だが、そこにひとりいるかどうか、というぐらいの比率。しかし自分の見てきたかぎり、アフロ・アメリカンの学生は、アスリート・タイプでなければ、芸術的感性があり、装いに独自の美学的こだわりを感じさせる人ばかりだ。そしてきわめて高度な政治的意識を持っている。要するに、かなりとんがっているのだ。面白いことに、こういうとがりかたはアジア系の学生にはまるで見られない。少なくともそういうふうにとがったアジア系学部生に私はまだいちども出会ったことがない。ラティーノ系の学生も同様。唯一の例外は中近東あたり出身の学生だろうが、アフロ・アメリカンほどでシステマティックではない。拙速な一般化は避けるべきだが、おそらく、マージナルな存在ほど必然的かつ不可避的に鋭敏な批判的意識を身に着けていく、と言ってよいのではないか。この意味で、アメリカにいる東・東南アジア系の批判意識はどこかおっとりしすぎというか、従順すぎるように思う。