うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。「私の」日本語。

アメリカ観察記断章。バークリーを除き、カリフォルニア大学はクオーター制で回っている。1クオータは10週プラス期末試験週間(Finals Week)で、これに採点期間が加わるので、13週ほどで1サイクルとなる。秋と冬のあいだにはクリスマスが入るので冬休みが2週間くらいあるけれど、冬と春のあいだの休みは10日もない。春学期は6月中盤で終わり、秋学期は9月下旬まで始まらないから、3ヶ月ほどの長い夏休みとなる。しかし夏のあいだキャンパスが閑散としているかというと、そういうわけではない。それはサマーセッションがあり、アーリースタートを切りたい学生が他に先んじて講義を取って必修をこなそうとしているからというのが理由のひとつだが、それとは別の、学期中とは完全に異なる人々がキャンパスを闊歩しているせいでもある。この季節の風物詩と言えるのはExtensionに来ている留学生だ。4週、8週、10週、12週の英語インテンシヴクラスがあるからで、キャンパスやキャンパスそばのモールやスーパーに足を運ぶと、初々しい感じの若者たちであふれている。中国韓国が多いように感じるが、ヨーロッパやアジアや中近東からの学生もいるし、もちろん日本人もいる。そういえば自分も7年前にUC DavisのExtensionで英語を勉強したし、そのとき日本人が結構いたことはよく覚えている(ついでに思い出したが、Extensionに通っていたときとくにやることもなかったので授業が終わったあとコンピュータールームで毎日1、2時間自習していたら、プログラム終了時のセレモニーで、だしぬけに、自習室をもっとも長く使った学生として名前を呼ばれて、壇上で表彰されたのだが、あまりに予想外のことで動揺してしまってステージに通じる階段で足をひっかけてころびかけた)。うちのキャンパスにも日本人はけっこう来ているようで、先日、ショッピングモールで8名くらいがテーブルを囲んで話し合っているところを目にした。しかしこうして久々に見ず知らずの他人が日本語を話しているのを耳にすると、なにかとても居心地が悪い気分になる。それはたぶん、生きた日本語を聞く機会がほぼゼロだからだと思う。日本語は豊富に読んでいるし、格闘しながら書いているし、ちょくちょく耳にしてもいる。しかし、ライブで即興の日本語を耳にすることは本当にまれなのだ。身近に日本人の知り合いがいないから。日本語が自分の言語であることは間違いないけれど、私の日本語がアメリカで生活することでますます「私の」日本語になりつつあるのを感じる。日本語は私の私的言葉としてますます近しいものとなっていくが、公共の言語としては遠ざかるばかりだ。FBで書いている日本語は自分としてはリハビリのつもりなのだけれど、ウィスキーに頼って深夜に書いているので、朝読み直して、変な書き方をしたものだと驚くことがよくある。