うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。明確な指標としての表情。

アメリカ観察記断章。先日授業のあと学生が書きかけのドラフトにコメントして欲しいというので「かまわないよ」と答えて読み始める。少しして学生がおもむろに、I'm scared because your face shows no expression and I can't read from your face what you think about my draftというようなことを言った。そしてそれを聞いてとても怖くなってしまった。不平不満はすぐに顔に出してしまうほうだが、それでも、基本的には表情の豊かな顔ではないと思う。意図的に無表情な面を取り繕っているところもあるし、長年にわたる異国での無意味に知的な引きこもり生活が能面を作り上げたところもある。しかしこの何気ない一言で気づかされたのは、自分のmisanthropeな傾向がアメリカの学生を傷つけてしまうという可能性だ。そう思ってあらためてアメリカ人を見ると、たしかに、表情は明確な指標であるように思われる。だからこそ、日本人にありがちな曖昧な愛想笑い(どう読むべきなのかまるでとっかかりのない記号)はアメリカにおけるコミュニケーションで大きな問題となるのだろう。アメリカのコミュニケーションではわかりやすい可視性visibilityがきわめて重要であるらしい。見えるように話すこと。アメリカで微妙なニュアンスを読み取ってくれというのは無茶な注文だ。