うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。トラブルを避ける術としての最低限のコミュニケーション。

アメリカ観察記断章。現代日本の都市空間で見ず知らずの人(そしてこのさき継続的かつ親密な関係を持つ可能性がほとんどない人)とコミュニケーションをとろうとする人は稀だろう。駅のホームだとかスーパーのレジだとか、そういう場所でアカの他人といきなり会話が始まることはまずないし、我々はそうした会話を歓迎しない。日本社会において厄介事を避けようとすれば、最初からコミュニケーションをしないという選択にたどりつくだろう。見て見ぬふりをするというのとは少し違うが、起こるかもしれないトラブルを回避するための処世術は、他者を他者として認識しないこと、公的空間に私的なバリアを築くことにあるのかもしれない。そこでは、コミュニケーションをしないことが負の感情をただよわせないニュートラルな選択でありえるし、それどころか、声をかけるという行為にはどこか不自然なところさえある。アメリカにおいて状況はまったく違う。ここでは、コミュニケーションをしないことは明確な意思表示で、その含意は完全にネガティブである。たとえばスーパーのレジでちょっとしたトークをすることは日常的な一コマであって、「Hi, How are you?」と半ば義務的だが半ば自発的に尋ねてくる店員に無言を貫き通すことは、あからさまな拒絶のポーズとなる。日本とアメリカではコミュニケーションについての目盛がひとつずれているとも言えるし、日本が会釈だけの身体動作で済ませられるとしたらアメリカではそこに言葉が加わらなければならないのだとも言える。アメリカでトラブルを避けるためにやるべきこと、それは、相手とコンタクトをとらないことではなく、相手と微弱ながら知り合いになっておくことである。だから、アパートの階段ですれ違えば、たとえお互いにまったく顔見知りでなくとも、笑顔で言葉を交わすのだ。つまるところ、アメリカにおけるコミュニケーションの初歩は、言語的なものなのだ、と言っていいように思う。笑顔も会釈も必要だが、それにもまして、「Hi!」という肉声がいる。