うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

教えて欲しかった英語。発音。

教えて欲しかった英語。発音。まず認めるべきは、英語が日本語とは異なる音韻体系に属しているという事実だ。よほど恵まれたニュートラルな耳を持っていないかぎり、日本語話者は英語の音を正しく認識できない、多くの英語の音は日本語にそもそも存在しないのだから。英語の音を身につけること、それは楽器演奏でいうと音階練習に似ているし、運動でいうと筋トレがそれに相当するだろうか。単調でおもしろくない反復練習。退屈な基礎固め。しかし、こうした基礎がしっかりしていないと応用の成功はおぼつかない。いきなりの曲練習=実践でうまくやれる人間はたしかにいるかもしれない。しかしそれができるのはほんの一握りの人間にすぎない。大多数の人間(自分を含め)はそんなに器用ではない。もちろん発音にこだわりすぎるべきではない。インド系の人々、ラティーノ系の人々の言葉に耳を傾けよう。彼女ら彼らは訛りのある英語を堂々と喋るし、その「訛った」英語は私ですらきちんと聞きとれる。それなのになぜ日本人は「ジャパニーズイングリッシュ」であることを、「カタカナ英語」であることを恥じるべきなのか。私にはよくわからない。私は留学前に英語の音韻論的なものを独学したけれど、アメリカに来て最初の2年はESL(English as a Second Language)の授業を履修し、発音矯正に努めた。今でも自分の喋っている英語は「インチキ」だと思う。いちおうあからさまに顔をしかめられることはないレベルには自分の英語発音を引きあげられたとは思う。だが、さりとて、自分が「正しい」英語を話している感覚はあまりない……とはいえ、唯一無二の「正しい」英語発音があるという考えは捨てるべきだ。英語ならBBC発音がそんな「標準的」発音に相当するかもしれないが、米語にそんなものはあるのか。東海岸と西海岸ですらかなり違うし、中西部やその他の地域が加わるとどうなる。それに話者の多様性もある。ただひとつの正しいアメリカ英語はありえないだろう。存在するのはいくつかの標準的なアメリカ英語ではないか。だとすると問題は、日本人が「英語なるもの」を「お勉強する」とき、どのヴァリエーションを学んでいるのか、というところに尽きるように思われる。言いかえると、私たちはすでに存在する規範的英語音からどのくらい逸脱する、どのくらい迎合している「ニホンゴ英語」を話すべきなのかかという問題が一方にあり、そんな(捏)造語がどこまでEnglish話者に許容されるのかという受容の問題が他方にあるのではないか。