うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ピーター・マークの誠実で丁寧な音楽、またはローカルな劇場にその身を捧げること

オペラはアンサンブルだ。そこでは歌手とオーケストラと舞台と指揮者が混然一体となり、ひとつの総合的な出来事が姿を見せる。それはまったく当たり前のことではあるけれども、その当たり前のことが、歌劇場が大きくなればなるほど、困難になっていくようでもある。巨大な予算に物を言わせて、スター歌手を集め、腕利きのプレイヤーを雇い、評判の演出家を招いたところで、全体の調和が高まるかどうかは未知数だろう。というのも、調和とは、瞬時にすべてが完成するようなものではなく、長い時間を共に過ごすなかで、自分を主張しつつも相手を受け入れ、少しずつ互いに歩み寄っていくプロセスそのものであるからだ。ということを、ピーター・マーク率いるヴァージニア・オペラの演奏を聞きながら改めて思ったのだった。

 

ピーター・マークの作り出す音楽にスケール感が欠けていることは否定できない。彼が指揮すると、ワーグナーにしても、リヒャルト・シュトラウスにしても、奇妙なまでに古典的に聞こえてくる。『エレクトラ』はメンデルスゾーンのように響かなければならないと言ったらしい作曲者の言葉が思い出されるほどに。抒情的なところはたっぷりと歌わせるくせに、リタルダンドしてもおかしくないところをインテンポで快活に駆け抜けようとする。ところどころで癖のある音楽作りをする。

しかし、彼の振る『ワルキューレ』を聞いていると、ワーグナーがこれほどまでに丁寧な音楽を書いていたことに初めて気づかされる。ひとつの動機が、低音から高音へと、金管から木管から弦楽器へと、楽器をまたいで、引き継がれていく。それと同時に、リズムを刻む音型もまた、同じようにオーケストラのなかでリレーされていく。盛り上がる箇所であればあるほど、そのような受け渡しは、もっとも聞こえやすい高音域や金管楽器が高らかに鳴り渡る瞬間しか聴衆の耳に届かないものだが、ピーター・マークは「誰か」や「どこか」を突出させることなく、「すべて」のあいだで絶えず重層的に起こっている主従の入れ替わりを、ひとつずつ丁寧に愛でながら、しかし、そのエネルギーや勢いはたわめることなく、すべてに生命を吹き込み、生命を表出させていく。

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これは間違いなく、膨大な時間をかけて仕込んだからこそ可能になった仕事である。

1940年生まれのピーター・マークは面白い経歴の持ち主だ。10代のころは、ボーイ・ソプラノとして、伝説的な時代とも言うべき1950年代のメトロポリタンの舞台に立ち、テバルディ、ビョルリンク、デル・モナコ、リザネク、二ルソン、タッカーの歌声やその存在感と間近で触れ合い、ミトロプーロスやシッパーズの指揮を体験している。声変わり後は、ジュリアード音楽院でヴァイオリンやヴィオラに打ち込み――ジュリアードではジャン・モレルという指揮者のもとで弾くことがあったそうだが、モレルの教え子にはプロムシュテット、レヴァイン、スラットキンがいる*1――、シカゴのリリック・オペラでヴィオラの首席奏者を務めたのち、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校でヴィオラとオペラを教える。それと並行して、1975年からヴァージニア・オペラの創設にかかわり、2000年まで36年にわたって総監督を務めた。現在は、声と身体の連動に主眼を置くワークショップを開催しているらしい*2

ヴァージニア・オペラを引き連れて海外公演をしてもいるし、客演もしてはいるし、総監督の在任期間(1975‐2000)のうち、20年近くはサンタ・バーバラの教員(1965-1992)でもあったけれど、コンサート指揮者として活躍したり、他のオーケストラの常任ポジションを兼ねることはなかったようである。

 

ヴァージニア州アメリカ史のなかで最初の13州に数えられる歴史の古い場所である。ワシントンDCの南にあり、独立戦争のさいはそのリッチモンドに首都が一時移転された。南北戦争のさいは南軍に与した。国防総省の本部ペンタゴンもある。にもかかわらず、オペラ劇団は、ピーター・マークたちが1975年に創設するまで存在しなかったことに驚かされる。LA Operaは1986年創設だから、それに比べれば歴史はあるものの、LA Operaには1940年代にさかのぼる前史がある。サンフランシスコ・オペラが1920年代に、メトロポリタン歌劇場が19世後半に、シカゴ・リリック・オペラが19世紀半ばに始まっている。ヴァージニア・オペラは、ヴァージア州の古さにもかかわらず、後発団体である。

ピーター・マークはそのような状況のなかでシーズンを運営していかなければならなかったという。だから、有名歌手を呼んで客寄せをするのではなく、まだ無名ではあるけれど将来有望な若手歌手を丁寧にコーチングし、地道に上演の質を高めていくことで、オペラをローカルに根付かせようとしたのだという。ヴァージニア・オペラは、東海岸沿いのノーフォークを本拠地として始まったが、後には、州都のリッチモンドと、ワシントンDCの南西に位置するフェアファックスを含めた三つの場所で公演を行うようになっていったそうである。

 

正直な話、ヴァージニア・オペラというのはまったく聞いたことがなかったし、ピーター・マークについてもまるで知らなかった(Peter Maagを検索したとき、間違って(?)引っ掛かった)。彼のYouTubeの公式チャンネルらしきところには、いくつかの公演の模様がアップロードされているが、公式な記録であるらしい映像付きのリヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』(TV放映されたのだろうか?)を除けば、あとは、膝上録音とまでは言わないにせよ、商業録音のレベルには達していない(ワーグナーワルキューレ』、ビゼーカルメン』、ベルリーニ『ノルマ』、プッチーニ『西部の娘』と『トゥーランドット』、ガーシュウィン『ポギーとベス』)。ところどころでノイズが混入するし、ヴァイオリンの音に残響がない。弦、木管金管のバランスはかなり無骨。マイクはオーケストラの間近にあり、まったく編集の入っていない生音という感じがする。しかし、だからこそ、このローカルなオペラ劇場におけるローカルな実践のありのままの姿が生々しく迫ってくる。

オーケストラは決して上手くはない。下手ではないが、一聴してはっとさせられるような音の艶やかさや輝かしさはない。同じことは歌手にも当てはまる。端的に言えば、華がない。才能に欠けるというよりも、まだ花開いていないし、果たして本当に花開くのかわからない状態にあるとでも言おうか。

しかし、そのようないまだ未成熟な音楽家たちをピーター・マークは実に丁寧に、ひとつの調和した協同的なアンサンブルへと導いていく。彼の指揮する『ワルキューレ』に一番近いのは、おそらく、同じくローカルな現場での音楽作りにその身を捧げたレジナルド・グッドールの空気感のある透明な抒情性であり、ウィーン国立音楽大学指揮科の教授で多数の著名な教え子を輩出したハンス・スワロフスキーの折り目正しい几帳面な古典性ではないかと思う。しかし、グッドールがベタな意味での指揮技術に欠けており、スワロフスキーがあまりにも先生めいた客観性のうえで揺らぐことがなかったとすると、歌手にして器楽奏者——しかも、旋律を奏でるヴァイオリンでもなければ、低音で歌いつつ上を支えるチェロでもなく、それらの中間をつなぐヴィオラ奏者——であり、戦後すぐの歌劇の黄金時代の記憶を我が身に宿し、それを現代において甦らせることを目論むピーター・マークは、個々の歌手や奏者の生理を大事にしながら、それらを統合的な地点からひとつに撚り合わせていく。全員を率いる指導者であると共に、他の誰とも変わらない一人の音楽家として。熱意を込めて。歓びをほとばしらせながら。

 

ピーター・マークはサンタ・バーバラで出った作曲家テア・マスグレイヴと結婚し、彼女のオペラ曲をいくつも初演している。そしてテアは、ピーターのためにヴィオラ曲をいくつも書いており、それをピーターが初演している。ピーターのヴィオラの腕前は、オケのトゥッティ奏者のそれではなく、ソリスト級なのだろう。だからなのか、彼の作る音楽は中音域がふくよかであり、ヴィオラを始めとする中音域の楽器が奏でる旋律やリズム——それは往々にして、高音や低音、木管金管にかき消されがちなものである——が、無理やりではなく、ごく自然に、当たり前のように存在を主張している。和音になっても、すべての音域が満遍なく埋まっているので、すばらしく充実した音がする。

ここでは、音楽が演劇となり、演劇が音楽となっている。それこそがオペラである。

 

超一流のキャストを集めた録音と比べてしまえば、聞き劣りはするとは思う。しかし、ひとつの場所に数十年にわたって深くかかわってきたからこそ可能になった、このような誠実な音楽に立ち会うことこそ、いまや世界中の大劇場では体験できない、かけがえのない出来事はないだろうか。きっと、音楽界がグローバル化する前(おそらくその先駆けは、20世紀初頭にオーストリアからアメリカに来たマーラーであり、その後釜を奪ったイタリアからのトスカニーニだろう)、心あるヨーロッパの歌劇場はこのような音楽を響かせていたのではないだろうか。

ピーター・マークとヴァージニア・オペラの音楽は古くて新しく、ありふれているようでほかのどこにもないものである。

 

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*1:モレルの商業録音がどれほどあるのかは知らないが、YouTubeにあるビゼーとシャブリエは素晴らしい演奏であり、ピーター・マークが影響を受けた指揮者としてモレルを挙げているのはわかる気がする。

*2:

operawire.com