うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230105 『水星の魔女』11話までAmazon Primeで視聴

よく出来ている。次が気になって見てしまう。しかし、これがガンダムかと言われると、違和感がないでもない。

 

ファーストから、ガンダムは子どもたちの物語ではある。理不尽な(現実主義的な、日和見的な、割り切った)大人たちにたいする、純真な(理想主義的な、割り切れない)子どもたちの反抗の物語。

そこに、体制側の大人たちに逆らう別の大人たちが絡んでくる。子どもたちとは別の理由で、つまり、体制の転覆と奪還を目指す理由で体制側に逆らう大人たち。

こうして、ガンダムの物語は、いくつかの利害集団の「間」の戦争と、集団「内」の闘争が、同時進行的に進んでいくことになるし、そして、ときおり、集団を越えた共闘や連帯や友情が発生したりする。

 

ファーストは、ジオン(スペースノイド)と連邦軍(地球人)の闘いが物語世界の骨格をなしている。しかし、ガンダムという物語の主軸となるのは、前者にたいする反抗者のシャアであり、後者にたいする異端分子的なホワイトベースである。しかし、シャアもホワイトベースも、世界全体の大きな趨勢にたいしては、小さな力にすぎないだろう。たしかにどちらも戦況を変えるほどのインパクトを持ってはいる。しかしどちらも、いわば例外的な存在としてそうなっているにすぎない。

ここには、揺るがしがたい社会構造と、巨大すぎる戦況があり、そしてそれらに対峙することを余儀なくされた、小さすぎるプレイヤーたちがいる。そのような状況のなかで、個からなる小集団に何ができるのか。それがガンダムにおいて一貫して提起されている問題であり、そこからガンダムの物語の力学が発生する。

 

『水星の魔女』はたしかにそのような構造を反復してはいる。ただ、物語のほとんどが、学園というミニチュアのなかで進行していく。

学園が外の世界の縮図であるのはまちがいない。学内では、さまざまな利害集団が拮抗している。複数ある学園寮を率いるのは、巨大企業の御曹司やその関係者なのだ。学園内の力関係は、生徒たちの関係というよりも、生徒たちが代表する社会的勢力の反映であり、それはつまり、外にある大人たちの社会の反映である。世代間闘争と、社会内闘争の両方がたしかに描き込まれてはいる。

ただ、すべてが学園ストーリーに収まりすぎているきらいはある。世代間関係に比重が置かれすぎている感じがする一方で、世代内関係(友達関係、学園内のパワーポリティクス)をクローズアップしすぎているのではないかという気もするところ。つまり、まさに「子どもの物語」になりすぎているように感じられる。

「決闘」と名付けられた模擬戦は、モビルスーツのアニメーションの見せ場としては秀逸なギミックだ。しかし、それが物語を稼働させるために多用されると、やや飽きてくる。

主人公のおどおどしたところは、物語の展開上必要なのだろうが、それがわかっていても、ややくどい。とはいえ、ここまでじっくりと主人公の性格をエピソードによって肉付けして語っていくのは、先を見越してのことなのだろう。12話1クールの話のテンポではない。

全体的に、どこか『マクロスフロンティア』の話の展開に通じるものを感じる。それはおそらく、主要な人間関係をつねに恋愛関係を背景にして描き出そうとしているからではないか。女同士の許嫁関係というのは現代的ではある。しかし、このギミックは結局のところ、古典的な三角関係のアップデート版として使われているだけではないかという感じもする。その意味では、キャラの関係の作り方としては決して新しくはない。ここに新味を感じるか、それとも、焼き直しを見てとるかは、視聴者個人の趣味の問題が大きいだろう。

 

ガンダム技術の医療転用というのは、新しい方向性だと思う。これまでのガンダムは、平和を望む子どもたちが否応なく戦争に巻き込まれていくなかで、優秀な戦士として戦争をくぐりぬけ、平和に至るという、きわめて逆説的な物語になっていた。毒を以て毒を制する的な物語。そのプレッシャーに耐えるのは並大抵のことではない。だから、ガンダムの操縦者たちは病むことになる。『水星の魔女』におけるガンダムの呪いは、そのような主題系に連なるものであると同時に、その克服を試みるものであるようにも感じた。

 

全体的に、物語の力学にしても、物語の方向性にしても、『ユニコーン』に近い気がする。ただ、あちらがジオンの系譜の延長線上にあったとしたら、こちらはまったく別の系譜になる。だからこそ、これをガンダムの物語としてやることに、なんともいえない違和感を覚えるところだ。とはいえ、『レコンギスタ』のように、遠い世紀の話にするというのがうまいやりかたという気もしない。しかし、かといって、正史を(後付けで)穴埋めしていくような、昨今のさまざまな派生形がいいのかというと、それもどうだろうかという気はするところ。

 

作画は見事。週1放送でこのクオリティには驚嘆するし、このクオリティあってこそのアニメだろう。ただ、クオリティが高い以上の目新しさは、本編部分には見当たらないように感じた。むしろOPとEDのほうが面白い。ラフスケッチ的なもの、イラスト的なものと、動画のコンビネーションのほうが、表現としては意欲作だ。