うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。合理的配慮の「運用」にたいする苦言。

特任講師観察記断章。合理的配慮の試みにたいして原理的に反対するところはまったくないし、理念的には全面的に賛成だ。しかし、現実的な運用については大いに困惑させられているというのが正直なところである。

情報共有はありがたい。しかし、情報だけ投げられても困る。それに、共有された情報と生身の人間を結びつけることはほとんど不可能だ。10人程度ならまだやりようがある。100人単位の大教室なら、学生ひとりひとりを個として認識する機会がそもそも発生しないがゆえに、意識的にどうこうしなければならないということもないだろう。しかし、30人程度という中途半端なサイズーーそしてそれこそが自分の主戦場であるーーだとそうもいかない。

共有された情報が、秩序だったものというよりも、あるだけすべて書き込んだという網羅的なもので、どれが必須事項でどれが努力事項なのか、優先順位がどうなっているのか「解読」しないといけないのも困るところではある。それに、解読してみたところで、はたしてその解釈が正しいのかどうかを確かめるすべは与えられていない。担当部局に訊ねてはみたものの、確固たるところは担当者にもわからないようだった(というよりも、それはどこまでいっても、結局は不確定なものにとどまるだろう)。最終的な責任を現場に押し付けるための方策や口実として、情報共有が戦略的に用いられているのではないかとすら邪推してしまう。