うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。普遍の不自然さの必要性。

特任講師観察記断章。Universalから「普遍」という訳語がすぐ出てこないというのは文系の大学2年生としていかがなものだろうかと思う自分の衒学的な性向はいったいぜんたい真っ当なのかと疑ってかかるべきだという意見はまったくもっともではあるのだけれど、それでもやはりこれはわりと問題ではないかという気がする。

普遍という高度に抽象的な概念ーーしかし現代における多様性や権利を考えるうえでなくてはならない戦略的ツールーーは、日常的な肌感覚からすると「不自然」なものかもしれないけれど、だからこそ、意図的に学び取られる必要があるのではないだろうか。そのような概念をはっきりと名付けることによって、使用可能なツールとして引き寄せることができるのではないか。そう信じて、あえてこの生硬な耳慣れぬ言葉を学生たちの耳に吹き込んでみる。

とはいえ、学生たちに伝えるべきものが、普遍という言葉の「知識」ではなく、この言葉が名指す「思考」や「感性」であることは言うまでもない。「情報」としての知識は容易に忘れられてしまうが、その「手ざわり」の記憶はおどろくほど長持ちする。おそらくそのような「ノイズ」の体験を提供できるかどうかにこそ、教員のシンギュラリティ―が賭けられているのではないか――そんな気がする。

パワーポイントを作るのは時間の無駄のように思われるけれども、自分のやっていることを可視化、図式化する契機になっていることも否定できない。ここ数年かけてやってきたことを、数枚のスライドに落とし込むために、ぎりぎりまで要点を絞り込む。このアルティザン的な圧縮は、散発的に提供してきたものを筋のとおったかたちでパッケージングしなおすことであり、自分にとっても得るところが大きい。

同じマテリアルを繰り返すことは、内容を磨き上げることでもあり、それを別のコマにも流用することでもある。臆面もなく、同じ話をすこしずつバージョンアップしながら語り直す。自己反復をしていると、そこから、新しい定式化、新しい比喩がふっと浮かんできて、口からこぼれだす。それをすかさずつかまえ、再び練り上げていく。

働き方改革を実施中。今期は、授業前日に残業してマテリアルを作るのではなく、当日の朝にピッチを上げてスライドを作るスタイルに変えた。かなりスリリング。時間との闘いで、授業開始までに作り終えることができるかとハラハラするが、このほうが、ダラダラと作るよりも引き締まったものになるような気はしている。しかし、あまりに綱渡りすぎて、このまま学期末まで乗り切れる気がしない。

そんなこんなで第3週目に突入しつつある。