うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20191230 Day 8 聖メナス修道院とアブ・メナ。

世界遺産アブ・メナを訪れるついでに隣りにある聖メナス修道院に立ち寄る。コプト教の施設で、まだ比較的新しい建物なのだと思う。大聖堂(という言葉をコプト教の教会に使っていいのかはわからないが)のなかにある聖書からのさまざまなワンシーンを描いたモザイク画に記されているサインによれば、新しいものは2000年代であり、周辺施設も建設中のところがちらほらある。

現代においてこのような壮麗な宗教施設を建造すると、どうしても新興宗教の怪しげな感じがただよってしまうのだろうか。不思議なことに、すべてがフェイクのように見えてしまう。丸天井に描かれたキリストにしても、使徒たちにしても、背景の鮮やかな水色にしても、柱や扉の彫刻にしても、オーセンティックなものであることは間違いない。天井はオールド・カイロ地区のとても歴史あるコプト教の教会で見たものと同じような感じであるし、造りにちゃちなところはない。しかし、一切手抜きなしに真面目に作られているからこそ、ますます新興宗教の金にモノを言われて作った胡散臭い施設と見分けがつかなくなってしまう。

アラビア語ギリシャ語のアルファベットで綴られた聖書を持つキリストという図像に混乱させられているせいで、余計にそのような変な印象を抱いてしまうのかもしれない。コプト教のイコンのスタイルだと言われればそれまでだけれど、透視図法に従わない平面的な画面構成を見るにつけても、ヘタウマという言葉が浮かんできてしまう。ともあれ、全体の雰囲気はギリシャ正教によく似ている気がする。

ここがコプト教徒にとって重要な場所であるらしいというのはわかる。大聖堂の裏手というか奥には、コプト教の高位聖職者や教皇の聖遺物があるらしく、熱心に祈りを捧げている信者がいるし、そのためにわざわざ車でやってくる家族がいるようだ。実際、滞在中、少数とはいえ人の流れが絶えることはなかった。

ユネスコ世界遺産に認定されているアブ・メナ修道院から歩いて小一時間ほどの距離にある。グーグルマップを頼りに歩いていく。一本道だからわかりやすいかと思いきや、そうでもない。そういえば修道院に来るために乗ったウーバーの運転手もかなり迷っていた。一般の知名度は低いようだ。アブ・メナまでの道は未舗装であるし、アラビア語の看板がわずかにあるだけだ。

そのような道すがらで羊飼いと遭遇し、ラクダ飼いとも遭遇する。なぜかフレンドリーに話しかけてきて、写真を撮ってくれとせがまれる。バイクの脇に立った写真を撮り、見せようとするが、写真自体にはあまり興味がないらしく、ちらりと見ただけで、道の脇のほうに向かって歩きながら手招きしてくる。その先にはラクダがいた。ラクダと並んでいるところをまた写真に撮る。握手を求めてきたので握手をしてみる。アラビア語がわからないからまったく意思疎通は出来ていないが、すごくいい人らしいのはわかる。握った手は意外と柔らかかった。

アブ・メナの場所が分からず、ウィキペディアで緯度経度を調べ、それをグーグルマップに入れ、GPS頼みで歩いていくと、どうにかたどり着く。世界遺産という漠然とした情報しかを頭に入っていなかったので、アブ・メナがどういうところなのかまったく理解していないというありさまだった。

遺跡の手前に簡素なバラックのような教会があり、ちょうどこちらがついたころ、その入り口から黒い僧服をまとった司祭が2人出てくる。2人ともかなり高位の司祭のように見えるが、なぜかフレンドリーに歓迎してくれる。そればかりか、その場にいた若者というには若くないが中年というには明らかに若い男性が、遺跡の案内役を務めてくれる。

彼の説明のおかげで、この遺跡が殉教者である聖メナスの遺体の埋められた場所に建てられた教会の遺稿であることが理解できた。彼らはどうにかして発掘を進めようとしているそうだが、水が出たり、エジプト政府が協力的でなかったりと、作業は難航しているらしい。

こういうとちょっと変に聞こえるかもしれないが、この遺稿はいまだ生きているような感じが強くあった。それはおそらく、コプト教の人びとが、この地をただ発掘して保存しようとしているのではなく、この地に修道院を再建したいという強い情熱を抱いているからなのだと思う。実際、聖メナス修道院はこの遺稿のある地に建てたかったのだが、エジプト政府がそれを許可せず、その結果、いまある場所に建てられることになったのだと言う。

遺跡を見て掘っ立て小屋のような教会のところに戻ってくると、先ほど歓待してくれた黒い僧服に灰色の髭の司祭が修道院に戻るところらしく、車に乗っていけと言ってくれる。面白いことに、おそらくその場にいるなかではもっとも高位にあると思われる彼が車のハンドルを握る。帰りの足を提供するだけでは不十分だと感じたのか、クラクションを盛大に鳴らして人を呼び、食べ物を持って来させ、その後また思い出したようにクラクションを鳴らし、水を持って来させる。こちらに昼食を振る舞おうと言うのだ。

恐縮していると、食べ物は聖なるものだからぜひ受け取って食べて欲しいと言うので、遠慮なく食べることにする。シラントロというかパクチーというか、香草の風味が強いベジタリアン用のターメイヤ―・サンドウィッチだ。彼は「ひとり2つ半」と繰り返す。

道すがら聞いた話をまとめると、彼は発掘プロジェクトを率いる人らしく、灌漑の問題といった工学的な側面と、考古学といった歴史的な側面の両方の学問を修めているのだと言う。もちろん彼の英語はそこまで流暢ではないが、そうした語学的な正確さとはまったく別の雄弁さや説得力のようなものがある。

期せずして不思議な歓待を受けてしまった。その多分な贈与に応えるために自分ができるのは、おそらく、このように彼との出会いを書き綴り、アブ・メナのことについて語ることぐらいだが、それがベストのことであるようにも思う。

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