うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

起こったかもしれなかったが起こりはしなかったことの領域(セジウィック「パラノイド読解または修復的読解、または、あなたはあまりにパラノイド的で、このエッセイがあなたについてのものだと考えているのだろう」)

"I don't mean to hypostatize, here, "the way it actually did" happen, or to deny how constructed a thing this "actually did" may be--within certain constrains. The realm of what might have happened but didn't is, however, ordinarily even wider and less constrained, and it seems conceptually important that the two not be collapsed: otherwise, the entire possibility of things' happening differently can be lost." (Sedgwick. "Paranoid Reading or Reparative Reading, or You're So Paranoid, You Probably Think This Essay Is About You" 151n5)

「わたしはここで、「それが実際に起こった仕方」を実質化するつもりはないし、この「実際に…だった」が――ある制約のなかでは――どれほど構築されたものでありえるかを否定するつもりもない。しかしながら、起こったかもしれなかったが起こりはしなかったことの領域は、普通はるかに広大でもあれば、それほど束縛されてもいない。実際に起こったことと、起こりえたかもしれないことを一緒くたにしてしまわないことは、概念的に重要であるように思う。もし両者の領域をなし崩しにしてしまえば、物事が別のかたちで起こる可能性のすべてが失われかねない。」(セジウィック「パラノイド読解または修復的読解、または、あなたはあまりにパラノイド的で、このエッセイがあなたについてのものだと考えているのだろう」)