うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカ人のペンの持ち方がでたらめな理由。

アメリカ観察記断章。アメリカの子供たちがひらがなカタカナ漢字を練習するのを眺めていたらアメリカ人のペンの持ち方がでたらめな理由がなんとなく見えてきた気がする。日本語はさまざまなニュアンスを要求する。太い線と細い線、速い線と遅い線、曲線と直線、起点になる点と終点になる点、とめはね、などなど。こうした点と線は筆圧と筆勢の細やかな調整があってこそのものだから、美しく日本語を書くには力の抜き差しを自由自在に行える手のかたちをキープすることが絶対条件となる。しかし英語(筆記体ではなくブロック体の場合)はこうした事柄にかなり無頓着であるように思う。変化のない線でもアルファベットは綴れてしまうからだ。ここにはおそらく、東と西における筆記道具の歴史的発展(羊皮紙と紙、羽ペンと筆)の違いが絡んでくるだろう。こうした文脈を踏まえることで、なぜ日本の初等教育ではシャープペンの使用が忌避され(少なくとも自分が小学生のころはそうだった)、鉛筆の芯にしても硬いもの(H)ではなく柔らかめのもの(HB)が推奨されるのかがわかるような気がする。ひらがながアルファベットより絶対的に美しいとまでは言わないが、文字のダイナミックなプロポーションという観点からすると、ひらがなは圧倒的に難しいと思う。そういえば、「半角/全角」は日本語キーボードを使う人々には欠かせないキーだが、類似のものは他の言語キーボードにも存在するのだろうか? 非日本語話者にとって日本語を書くのが難しい理由の一端は、文字の形を全角として、縦長の長方形としてではなく正方形として把握しなければならないところにあるのかもしれない。