うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。「すみません」とI'm sorryとexcuse me。

アメリカ観察記断章。明確な理由もないのに何となくI'm sorryと言ってはいけない、というのはアメリカ生活を目指すなかのどこかで必ず目にするアドバイスだ。ここにあるのは、アメリカは訴訟社会だからむやみやたらに謝るととんでもないことになる、という警告であり、それはあながち間違っていないと思う。しかし考えてみるべきは、日米での謝罪「感覚」の差異というよりは、日米における謝罪「表現」の差異ではないのかという気もする。

大雑把に言えば、日本語の「すみません」はI'm sorryもexcuse meの両方をカバーしているが、I'm sorryとすみませんの意味領域はカブると同時にズレてもいる。以下、個人的な雑感。

Excuse meは人をどかすときに言うフレーズだ。だからある意味、Excuse meはこれから起こる不便にたいする予防線であり、「(これから迷惑かけますけど)すみません」という感じだろう。もちろん名詞としてのExcuseは「言い訳」の意であり、その場合は過去への言及となるが、Excuse meというセットフレーズは未来志向である。

I'm sorryは過去志向なのかもしれない。たとえばI'm sorry to hear [a bad news]というようなふうに、「お悔やみ」を述べることができる。excuse meが自分の行為の他人に及ぼす影響についての先取りの謝罪であるとしたら、I'm sorryは他人の行為の自分に及ぼした影響についての事後的な告白である。I'm sorryはだから直接的なかたちで相手に謝る言い回しではないような気がする。「悪いことをしたと思ってるよ(でもそれ俺のせいなの、違うでしょ)」という微妙な開き直りを感じてしまう。おそらくapologize、apologyが日本語の「謝罪」に最も近いし、最もニュートラルな表現だと思うが、話し言葉としては硬すぎるか。